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若者の国のアリス

ついこの間まで、街ですれ違う人達はみんなお兄さんやお姉さんだった。
美容室で私の髪を洗ってくれる人も、デパートでコーディネートの相談に乗ってくれる店員さんも、カフェで注文したデザートプレートを運んでくれる人も。
みんなお兄さんやお姉さん方だった気がする。

会社でも当然のように周りは年上ばかりで、何かあるたび「え?〇年代生まれ!?若いねー!」「え?干支一回り違うじゃん!若いねー!」。

そのため公共の場で使う言語は大抵「です・ます調」の丁寧語が中心で、「はい」「はい」「ありがとうございます」を多用していた。

ところが私は最近気づいてしまったのである。
私を取り巻く周囲の人々がメキメキ若返っている。
美容室で髪を洗ってくれる人は、いつの間にか美容室で髪を洗ってくれる「子」になっていた。
各種お店で働く店員さんも明らかに年下が増えている。

職場の平均年齢が割と若いということもあり、いつの間にか私は年長者の部類にカテゴライズされていた。
え?まだ早くない?
私、気持ちだけはいつでもフレッシュなんすけど。

たまの出社日に20代の子たちと楽しくランチに行ったら、自然と奥のソファー席を譲られて、労わられた。

え?どうしたどうした?
私いつの間にか若者の国に迷い込んでしまったアリス?
※それでも自分をアリスに例えるあたりお察し

分かっている。
私が歳を重ねただけだってこと。

まあ仕方ない。
私だけが不当に歳をとっているのではなく、地球丸ごと平等に歳を重ねているんだから。

何が言いたいんだと言われそうなんですが、つまりですね、昔は周囲がみんな年上だったから自然と年上の人たちに遠慮したり配慮したりする側にまわっていたわけです。

自分が大人として、社会人としては未熟であるのはまず間違いなく、特に職場では常に教えを乞う側であった。
当然わがままや、もって生まれた気の強さなどは極力慎む方向で周囲と調和を第一に生きていこうとする。

でもある程度の経験を積んで、自信もついてきて、周囲に年下が増えてきてからが、実はその人の真の人間性が露呈するときだろうと思う。

これからは圧倒的に遠慮される側、配慮される側に回る機会が増えるのだ。

美容室で髪を洗ってくれる年上のお姉さんに「かゆい所はありませんか?」と聞かれ、ほんとは右側頭部がかゆいんだ!もっと力を入れてくれ!と訴えたくとも遠慮して「ないです」と言っていた若かりし日の初心な私。

今では自分より一回り以上若い子供みたいな美容師の卵に「あのさ、あなた力弱いし全然かゆいところに届いていないんだけど(怒)!?」って、まあ言おうと思えば言える。確かに昔よりは多少図太くもなってきた。

でもそこはやっぱり、顔面に乗せられた紙の下で笑顔を作って「ちょっと右側頭部がかゆいですね。…あ、そこです!ありがとう!」って丁寧に言える人間でありたいのだ。

仲良くしている20代の会社の子とご飯に行ってソファー席を譲られた時には、ショックを受けるでもなく、当然のような顔をするでもなく、感謝して「ありがとー!」と言いたいし、荷物の量やコンディションによってはむしろ「ソファー座ったら?」って一声かけられる人間でありたいのだ。

若い人は経験がないという意味では確かに未熟だが、経験が足りないゆえの未熟さは、人間的な未熟さとイコールではない。
逆にたとえたくさんの経験を重ねたからと言って必ずしもそれがその人の精神的な成熟度につながるわけでもないと思う。

たかだか何十年か生きてるだけで、何でも知ってるみたいな顔をするのってちょっとダサい気がする。

人間的な成熟を目指しつつも、いつまでも初心者の目で自分の生きる世界をうきうきと見つめていきたい。
それがこれからの私の目標の一つである。


ちなみに5月17日から始めた全力ラジオ体操と令和版優しいビリーズブートキャンプ、なんと続いている!!
明らかにこれだけで体の調子が上向いている。
運動せい、運動せい!と昔っから世の中が口うるさく言っている理由をようやく理解した。



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