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祖母の美しい骨、旅、喜平ネックレス

3月後半、実にいろいろなことが起きた。
「トイレの妖精」こと同居していた義理の祖母の他界もその一つ。

私の実の祖母は、若かりし頃私の母を苛め抜いた超絶気の強い意地悪な祖母(健在)と母方の祖母(去年亡くなった)で、意地悪ばあちゃんの方はもちろんだが、母方の祖母も、のび太君のおばあちゃんみたいな、ぽたぽた焼のイラストの優しいイメージの祖母ではなかった。
どちらかといえば友達みたいな面白ばあちゃんという感じ。

だから、結婚して夫のおばあちゃんに出会い、私は初めてこれがいわゆる孫を愛する一般的(とは限らない)なおばあちゃんなのかと衝撃を受けた。

夫の祖母はとにかく孫である夫を溺愛していた。
当時すでに三十代半ばのいいおっさんである夫に対し「孫君、ほらここにお肉があるよ」と夕食のテーブルで夫の喜びそうなおかずのありかを指し示す。
内心「いや…わざわざ教えてくれなくても見えてるよ!」と突っ込んだりすることも多々あったが、祖母は私にもとても甘かった。

ちなみに祖母の溺愛の対象はひ孫の誕生により速やかに孫からひ孫に移ったのだが。

そんな風にきめ細やかな愛情を自分に注ぎ続けてくれた祖母を夫もまたとても大事にしていたように思う。

お葬式で骨になった祖母と対面した私は、悲しさを超えた感動のようなものを感じていた。
祖母の骨は太く真っ白でカラリと美しく、大変立派に見えた。
生き切った。
そんな祖母の矜持と、老いた肉体の重さや不便さから完全に開放されたすがすがしさのようなものを感じたのだ。

私は夫の祖母が大好きだった。
だが血のつながりがあるわけでもなく、積み重なった愛しい歴史があるわけでもない。
だからこそ、どこか一歩外から冷静に祖母の骨と向き合えたのかもしれない。

自分の祖母が亡くなった時には、悲しみに翻弄されるだけでそんなこと考えている余裕もなかったが、今回夫の祖母の死に触れ、もしかしたら死は怖くて悲しいだけのものではないのかもしれないことを教えてもらった気がする。

入院する前、足がおぼつかなくなった祖母に、私なりに孝行させてもらうことができたのは幸いだった。
とても短い期間だったからこそ、一切の邪念なしに純度の高い感謝の気持ちだけをもって接することができたように思う。

夫の気落ちが心配だったが、夫も祖母の骨を目にして私と同じような気持ちになったそうで、逆におばあちゃんに勇気づけられたと言っていた。
最期まで祖母は上品で優しく、偉大であった。

さて、無事お通夜お葬式を終え、その一週間後の週末(つまり今日!)私たち家族は初めての家族旅行を予定していた。
コロナもあったし、そもそも経済的にも私たち家族は旅行なんてする余裕がこれまでなかった。

もっと言うと、私は結婚してから夫と一度も旅行したことがないまま完全同居生活を開始し、よく考えてみると婚前旅行も経験がない!
夫が鬱になったせいで新婚旅行だって行っていない!!
ガッテム!!

収入が少ない分ひたすらに貯蓄に励んできた我々であるが(一度宝石買ったけど)子供も生まれ、そろそろ家族としての思い出作りにも予算を割きたいところ。

実は昨年11月末に一度計画していたのだが、直前に息子が発熱し、計画がおじゃんになってしまっていた。
今回はそのリベンジであった。
結果から言うと、私は今家でnoteを書いている。

息子が熱を出したのだ。
ねえ、どういうこと!?
子供は大切な行事の直前に熱を出す仕様となっているの!?
なぜ!?何のために!?

11月にも予約していた同じ宿に、再び直前でキャンセルの電話を入れる私。
違うんです!私は飲食店に大人数で予約だけしてキャンセルを繰り返す悪質な人間では決してないのです!!

実は11月には子供の体調不良という事情を考慮していただきキャンセル料の支払いを免除してもらっていた。
そのご配慮にいたく感じ入った私たちは、お礼の意味も込め今回同じ宿に予約をいれたという経緯があった。
これではお礼どころか恩を仇で返すようではないか。
申し訳のなさから亀のように縮こまり平身低頭謝罪する私。
せめて意図的な迷惑客ではないことを伝えたいという一心でめちゃくちゃ謝り倒した。キャンセル料をお支払いするのも致し方ないと思っていた。

ところが今回もキャンセル料を免除してもらいほとんど泣きそうになる私。
次に予約するときは、たとえ再び直前で息子が熱を出したとしてもキャンセル料80%と言わず100%を支払う覚悟で予約することを夫と固く誓った。

そして熱を出した息子はまたしても妖怪「ママじゃなきゃヤダ四六時中不機嫌鼻水坊主」に変身。
息子の途切れることのない怒りの混じった涙声と鼻水にノックダウン寸前。
楽しみにしていた旅行もなくなり呆然としていた折、実家の両親から労りの電話。
母はいつもまずは何より私の体調の心配をしてくれる。
父は何よりもまず可愛い孫の心配をする。
バランスの取れたいいコンビである。

電話を切った後、母からラインで、父が頑張っている私にネックレスを買ってくれると言ってると飛び上がらんばかりに嬉しい知らせが入った。
前回実家に帰省した時にジュエリーを買った話をしまくった効果だろうか。
「大事な孫という宝物をくれて育ててくれているから、とパパが言っていたよ」だと。

父からは二十歳のころに一度小さなダイヤモンドのネックレスを買ってもらったことがあった。それ以来のことである。
あの武骨な父が!あの父がジュエリーとな!

昨日父から電話が入った。
「喜平ネックレスて知っとるや!?あれが良かと思うが」
喜平!?
あの、野球選手がみんな首からかけてるあのゴリゴリのネックレス!?
「たいたいに将来何かあった時にそれを売れば良かと思ってな!金の重量がしっかりあって資産価値があるから!」
さすが質実剛健を地で行く我が父。

さて、どちらかといえば華奢で骨細の私に、喜平ネックレスは似合うだろうか…
「しばらく考えさせて」
そういって電話を切った。

似合わなくてもそういう父の親心がこもった、父らしいセレクトとして、ある意味良い思い出になるのかもしれないが、やはり私にはもう少し考える時間が必要である。



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