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ユートピア、崩壊

大雨の後、間髪入れずに酷暑と来ましたか。
私の周囲でもこの急激な気温差にやられ体調不良の方が多いのですが、みなさんお健やかにお過ごしでしょうか?

突然ですが先日生まれて初めてムカデに刺されました。

時刻は午後10時過ぎ。
騒がしき真昼の業(わざ)も今は終わり、福太郎が眠りに落ちるまで息子と母二人っきりの甘い時間を過ごしておりました。
無邪気に、それはそれは無防備に。
まさに至福。

寝室は私を悩ますこの世の全てから隔離されたユートピア。
お風呂上がりの清潔な体に良質なパジャマとふんどしパンツ。
高反発のお高いマットレス(エアウィーブ)とふわふわの羽毛布団。
まさに極楽。地上の楽園(北朝鮮のことではない)。

幼児の癖に宵っ張りの福太郎がさすがにうとうとし始める時間帯。
一日のうちで一番ゆったりと流れる幸福な時間。
動きの鈍くなった幼児の愛らしきことこの上なく、暗闇の中ふと目が合うと何度でも飽きることなくぱぁぁっと喜色満面の表情を浮かべる息子のいじらしきことまたこの上ない。

寝室は絶対に安全でこの上なく快適な場所であると信じ切っていた、ウブだったあの頃の私。


ぽと…

何かが左足の太ももに落ちてきたような感覚があった。
一瞬何が起きたのか分からず思考停止した次の瞬間異常事態を知らせる警報が脳内に響き渡った。


「んぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっっ!!!!!」


柔らかい布団と美しい私と、かわいらしい福太郎しか存在しない千年の平和が約束されたこのユートピアに姿は見えぬが異物侵入!!

敵襲!敵襲!敵襲!
脳内の非常事態警報がけたたましく鳴り響く。

静寂を切り裂く私の大絶叫に、うとうとしていて生気の少なかった福太郎の瞳が俄かにらんらんと輝き、むくりと体を起こす。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっっ!!!!!」


足をバタ狂わせながら飛び起きると、薄暗い間接照明の中、何か小さく細い影のようなものが布団の上を横切るのが見えた。


私の叫び声に、隣の部屋にいた夫と、階下にいた義母が揃って駆け付けた。
「ななななななにかにゅるにゅるしたものが…!!」
義母に泣きつく私。
部屋をのぞき込み臨戦態勢になる夫。
何が起きたかは分からぬが何故か瞳を輝かせ活気を取り戻す息子。

「ああああああ足、ふふ太ももの上に…!あ、痛い…痛くなってきたぁぁっ!!」

大パニックである。

その後義母と夫が二人掛かりで小さなムカデを探し出し、無事始末してくれた。

ちなみにムカデに刺されたら、なるべく早く流水で患部を洗い、市販のステロイド外用剤を塗って治療するといいらしい。
グーグル先生がそうおっしゃっていた。

ムカデは私の太ももにほんの小さな赤い発疹のようなものを残した。
患部自体はとても小さなものだったが、痛みはその後数時間ひかず、翌朝も違和感が残っていたから恐ろしい。

ムカデから刺された日記。
それは平凡な日常の、ごく平凡な事件。
ムカデは即日速やかに始末されて一件落着。

…そう言って片づけたいところだが、これはそんなに軽い話ではないのだ。

私は絶対安全なユートピアを侵された。

この世にただ一つ、裸の心で無防備にキャッキャキャッキャと笑い転げられる場所を失ったのだ。

もう何も信じられない。

あの日以来、私は鋭い眼光で常に周囲を警戒し、舐められないように敵を威嚇する生活を続けている。

それはトイレに入るとき。
これまで無邪気に足を突っ込んでいたスリッパの中に、足を突っ込めなくなった。
「ダンッ!!!」
ムカデがいないかを確かめるべくスリッパの先を激しく足で踏みつける。
万が一ムカデが潜んでいたらここで息の根を止めようという決死の覚悟である。

それは福太郎と寝室に向かう際。
私はこれまでのように無邪気にドアを開けられなくなった。
「おらぁっ!!」
などとおらついた声を上げ激しい音を立てドアを開けムカデを威嚇する。

出てこいやぁ!!!

お風呂上がりの清潔な体を上質なパジャマで包み、愛らしい息子を抱き、鬼の形相で足を踏み鳴らす。

俺様が来たぞという殺気立ったメッセージである。

布団の中に気軽に足を突っ込むことすら出来ず、自分の影にすら怯える日々。不幸だ。

こんな生活を送りたかったわけじゃない。

私はコーヒーや紅茶を愛し、夫と子供を愛し、ジュエリーを愛する美しい女として優雅な生活を送りたいのだ。
忙しき一日の終わりはことさらに優しい気分で優雅なひとときを味わいたいのだ。

優雅な生活とはかけ離れているが、とりあえず、近所のドラッグストアにムカデコロリなる商品を買いに走らねばならぬ。

サポートいただけたら、美味しいドリップコーヒー購入資金とさせていただきます!夫のカツラ資金はもう不要(笑)