ハリウッドは女性のリーダーを描けない?
筆者のTLには、数年前から「強い女性キャラクターは利己的なものとして描かれる、一方強い男性キャラクターは利他的なものとして描かれる。これは特にアメリカ産のコンテンツで強い傾向である」という言説が流れていた。
筆者としては「さすがに偏見では?」と思いながらこの意見を見ており、反例を挙げようとしていたのだが(私自身があまりドラマや漫画を見ないので基本的に他者の評論を聞くしかないのだが)、この傾向の反例が上手く出せないという引っ掛かりがあった。実際、その主張に沿う例のほうが先に思いついてしまうのである。
例えば、ごく最近「アメリカ発コンテンツは女性キャラを強いものとして描けている」と称賛されていた典型に「アナ雪」のエルサがいるが、彼女は強さの表現として孤独になる過程が描かれる。「キャプテン・マーベル」なども自己形成が主題でリーダー的姿の評論は少ない。他には「プラダを着た悪魔」のミランダなどがこの類型として声が多く寄せられた。
一方日本の作品も、筆者は実のところジブリ作品くらいしか知らないのだが、そこに描かれる女性リーダーは「ラピュタ」のドーラ、「ナウシカ」のナウシカ、「もののけ姫」のエボシ御前など、部下に対する面倒見の良さと組織を引っ張る決断力を併せ持った典型的な「良いリーダー」として描写されていることが多い。ドーラは任侠よりの味付け、エボシ御前などは石田三成と大谷吉継のエピソードが元だろうなと思えるシーンがあり、男性にも適用されるリーダー像をそのまま女性が引き継いでいるという印象である。
ここだけ見ると、ジェンダーギャップ指数で問題にされる女性リーダーのエンパワメントには日本の作品のほうが良いのでは?というように思えてしまう。
「理想の上司」ランキングを参考にする
さて、今回は上記のような思い付きをもう少し客観的に検討するため、批評のサーベイを試みることにする。目的は女性リーダーのエンパワメントに絞った。というのも、「理想の上司ランキング」というのは割合いろいろなメディアで見られるため、横断比較がしやすいと考えたためである。
理想の上司とは何かを考えるに、上記のCanCamの記事では、「的確な判断ができる」「人柄が信頼できる」「責任感や決断力がある」「指示が分かりやすい」「部下・後輩の面倒見が良く意見を聞いてくれる」といった項目が並んでいる。これは読者層に関わらず概ね同じイメージで、
・組織を正しい方向へ引っ張る(リード)
・部下に対する面倒見がよい(カバー)
等、利他性が期待されているといってよいだろう。これは当初の疑問にも通じる。
では、「理想の上司」の描かれ方に、性差や文化差はあるのか?ということを、アメリカのコンテンツ、日本のコンテンツを比較していきながら見てみよう。
まず最初に、女性読者を中心とするアメリカ産実写コンテンツのサイト、「クランクイン!」で2011年に行われた理想の上司男性編、女性編のランキングをそれぞれ見ていこう。
海外ドラマの理想の上司[2011男性編]
ホレイショ・ケイン(CSI:マイアミ)
・部下に対する絶大な信頼感
マック・テイラー(CSI:ニューヨーク)
・正義感にあふれ人間として尊敬できる
ジャック・バウアー(24)
・守ってくれそう、いざと言うときなんとかしてくれそう
ダニエル・ミード(アグリー・ベティ)
・頼りないけどイケメンで優しい、いざというときはガツンとやってくれる
マイケル(NIKITA)
・陰で助けてくれる、普段、表には出さない優しさ
ジェイソン・ギデオン(クリミナル・マインド)
・正しい方向に導いてくれそう
記事では、部下思いで優しいに+α(イケメン、引っ張ってくれる強さ、世話したくなる弱さなど)の要素があるのが理想のリーダーということだろうとして結んでいる。登場した全員のほとんどがリード&カバーの両方を備え、そうでなくても一方は備えている。
海外ドラマの理想の上司[2011女性編]
ブレンダ(クローザー)
・サバサバ、凄腕、男性にも負けない強さ、有能ぶり
アディソン(プライベート・プラクティス:LA診療所)
・自分の考えをしっかり持っている、仕事はキッチリこなす
サマンサ(Sex and the City)
・恋愛から仕事まで相談できそう、経験豊富で頼れそう
人生について教えてくれそう
テレサ・リズボン(THE MENTALIST)
・芯があってかっこいい、頼りがいがある、など“男前”な理由
スー・シルベスター(glee/グリー 踊る!?合唱部♪)
・怖くて嫌味かもだけど有能
意外だったのが、ヒールのポジション……が票を集めたこと。これらのキャラクターは、お世辞にも部下思いとは言えず、自らの目的を達成するためには手段を選ばない。しかし、それゆえかブレない力強さが魅力となっているようだ。実際に会社にいたら怖いですけど…。
女性編のほうでは、「部下をリードしカバーする」というリーダーシップの要素はほとんどなくなり(テレサ・リズボンが"男前"と評されているのみ)、能力としては「バリバリ、有能」のみ、プレイヤーにも適用される基準のみがクローズアップされる。編集部のほうでも利己的に描かれているキャラクターが「理想の上司」として票を集めていることに疑問を投げかけている。
……たしかに。これは指摘通りだ。少なくとも{2011年ころ}の{アメリカ産のドラマ}の{日本の女性視聴者}という条件で見る限り、男性リーダーには利他性が期待されているのに対し、女性リーダーにはむしろ利己性が期待されていることがわかる。
また英語圏の評論では、"female bosses in movies"のキーワードでで上位に出てくるこちらの評論では、以下のようなキャラクターを紹介している(※注:なるべく広いタイプを集めているとしている)
【強いリーダー】
Olivia Pope - Scandal
・プロフェッショナリズムが中心のキャラクター
Jules- The Intern
・悩めるCEO
【揺れるキャラ】
Selina Meyer - ヴィープ
・挑戦者寄りで成長していくキャラ
Leslie Knope- Parks and Recreation
・間抜けキャラから励ますキャラへ
Paris Geller- Gilmore Girls
・ライバル後親友(※基本的に女性社会)
【独歩的】
Liz Lemon- 30 Rock
・社交が苦手という色付け
Peggy Olson- Mad Men
・孤独な強さ
【敵役】
Miranda Priestly – プラダを着た悪魔
・冷酷(敵役)
Wilhelmina Slater - アグリー・ベティ
・野心家(敵役)
幅広いリーダー像を集めたということでバリエーションはあるものの、リーダーらしいリーダー役なのは「スキャンダル」のポープ、「マイ・インターン」のジュールズ、「ヴィープ」のメイヤーであり、主人公・準主人公であるため悩める部分をクローズアップされやすいキャラクター付けとなっている。
カミール・サローヤン(BONES -骨は語る-)
・バランスの取れた外交的・調整的所長
ミランダ・ベイリー(グレイズ・アナトミー)
・「ナチ」のあだ名がつく厳しい教官(悪役ではない)
シャロン・レイダー(Major Crimes~重大犯罪課)
・部下を上手く指揮する上司(主人公)
テレサ・リズボン(THE MENTALIST)
・頼りがいがある上司
リズボンは前のものと重複だが、純粋に脇役としてのカバー型上司がもう1人、主人公で「理想の上司」であるキャラがもう一人付け加わっている。英語圏のものもサーベイしてみたが、これ以外では007シリーズのMあたりしか挙がっていない、というのが大まかなサーベイ結果である。
日本の少女漫画の理想の上司
さて、比較となる国産コンテンツの「理想の上司」だが、検索してもとっちらかりがちだったため、まず少女漫画・女性読者を対象としたランキングから始めることにする。
高野誠一(ホタルノヒカリ)
・感情が安定していて、部下へのリードも的確
オスカル(ベルサイユのばら)
・部下に耳を傾け、部下を助ける
津崎平匡(逃げるは恥だが役に立つ)
・話を聞いてくれる、指示が的確
神保美姫(Real Cloth)
・カリスマ性、成長の機会を与える
アッシュ(BANANA FISH)
・実力、カリスマ性、イケメン
※太字=女性キャラ
こちらのランキングでは男女がほぼ均等に選ばれているが、女性キャラはいずれも典型的リーダーシップ=リード&カバーの利他性を備えたキャラクターとなっている。
ただし、ドラマとなるとまた話は別で、寄せられている意見では「ドクターX」は利己的な女性キャラクターが中心で構成されていているなど、利他型より利己型のほうが多い、という感想が寄せられている。
またほかにも探しているが、検索で引っかかる範囲ではリスト全員が男性キャラということがよくあるため、現在のところこのリストにうまく乗せられないでいる。
中間まとめ
私自身が映画もドラマもアニメも漫画もをあまり見ないので他者の評論に頼らざるを得ないのだが、評論のメタアナリシスの初手の段階では、「理想の上司」として挙げられるキャラクターに
日本産コンテンツ男性リーダー:利他的
日本産コンテンツ女性リーダー:利他的
米国産コンテンツ男性リーダー:利他的
米国産コンテンツ女性リーダー:利己的
という傾向があり、米国産コンテンツの女性リーダー像だけ利他性の描かれ方が薄い、というのが現状のサーベイの状況である。よく、米国産コンテンツの女性は「政治的に正しく」描かれているというが、この傾向を見る限り女性がリーダーになることをdiscourageしていて不適切なのでは?とすら思ってしまう部分がある。
寄せられたご意見
孤立ではない説
私が最初に思い付きをツイッターに書いた段階では、「女性ヒーローの強さが孤立として表現されている」と書いた。これに対して、友人的な協力は描かれている、というご意見が多かった。これについては筆者も理解することろで、「リード&カバー」型が少ないという意見だったため、こちらでは最初から改めさて頂いている。
アメリカ型ヒーローのテンプレート説
アメリカはハードボイルドなど孤独なヒーロー像を持ちやすい傾向があり、例えばアメコミヒーローの多くにしても、刑事ものの多くにしても、はぐれものの一匹狼が一人悩むという展開が多い。女性ヒーローでも部下を率いるシーンより一人で悩むシーンが多いのは、そのアメリカ作劇のテンプレを当てはめたというご意見をいただいている。これは、主人公についてはそのような面もあるように思う(が、脇役でリーダーシップを発揮する女性はもう少し増えてほしいところである)。
ジェンダー政治説
多くいただいた意見として、アメリカのジェンダー政治の圧力により「男社会に反抗する女」は描きやすくとも、「男社会の圧を乗り越えてリーダーとしての責任を負う立場になった女」が描きにくいのではないか、日本ではジェンダー政治の圧力が少ないゆえに逆にファンタジーとしてリードし責任を負わされる立場の女が描きやすいのではないか、という見解があった。
この意見で筆者が思い出したのが、「マッドマックス・怒りのデスロード」のもう一つの批評である。この映画は戯画的に家父長制を誇張したシンボルであるイモータン・ジョーをフュリオサら女性たちが打ち倒すあらすじで、フェミニズムをよく描いていると言われていたが、実はフェミニズムの限界に対する強い批評性を内包しているという指摘である。
映画をよく見ると、イモータンジョーだけが荒野で植物栽培に成功し、本人すら馬鹿馬鹿しいと思っている疑似宗教で辛うじて社会を維持している。一方女性側は反抗(チャレンジ)する姿は良く描かれるが生産に対する関心が低く、一見すると反抗する女のシンボルに見える鉄馬の女ですらイモータンジョーの生産力に依存する構造になっている。映画の最後の最後で初めて、フュリオサがリーダーとして生産に責任を負いチャレンジされる立場に立った不安が祝祭のシーンに隠されるように描かれる。
「チャレンジすることは描けてもチャレンジされることは描けない」という構造はまさに頂いた意見そのものであるし、実はこの映画がフェミニズム賛同として礼賛されることで作品が内包するジェンダー政治批判が完成するという二重の批評性を持った映画だ、というのが上記批評の趣旨である。私は、今回のツイートで上記のような意見を多く受けたことで、この二重の批評性をあたらめて思い出した次第である。
筆者の普段の書きものを見ていただければわかると思うが、筆者はフェミニズムもリーダーとなりチャレンジされる立場となることをそろそろ考慮するべきだ、という意見である。
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