見出し画像

僕は人を殺したかもしれないが、それでも君のために描く

今日、ダ・ヴィンチニュースにこの作品の記事を掲載していただいた。

 https://ddnavi.com/interview/663947/a/

 これは今年五月に、多くの書店が休業している中で出版された私の新刊だ。この作品の主人公島津圭司はまだ連載を持ったことのない駆け出しの漫画家。娘二人が漫画家(キリエ)なので、いつか漫画家の視点で描いた作品を書いてみたいとずっとチャンスをうかがっていた。
娘達は、初連載の『4分間のマリーゴールド』がドラマ化されたので、漫画家として順調だったと言われることも多いが、全くそんなことはない。漫画家で食べていけるようになるまでは本当に険しい長い道のりだった。私はそれをそばでずっと見ていたので、娘たちの経験を織り交ぜながら、漫画家として成長して行く過程を物語にしてみようと思った。作中で主人公が描いた漫画は、実際に娘達が漫画にして収録されている。だからいろいろな意味で、この作品は母娘合作と言えるかもしれない。

ころきみキャラ2

この作品は、主人公が抱える苦悩(最愛の弟の死、強迫性障害)と、救急救命士のまりあとの恋を縦糸に、アシスタント達との絆、ファン第一号の青年との出逢いを横糸にして、主人公が人として成長していく過程を一つの物語に織り上げたものだ。
物語のテーマの一つは「強迫性障害」。私自身が次女を出産した後に発症し、この障害に人生を乗っ取られた。
症状が最も重かった十数年間、私は心から笑ったことが一度もない。常に不安と恐怖に搦(から)め捕られ、毎朝起きた瞬間に心臓がバクバクして、「今日一日をどうやって生き延びよう」と絶望した。
一日中手洗いに追われ、理性で考えれば馬鹿げたことが次々に頭に浮かんだ。例えば「もしかしたら気づかないうちに誰かの死の原因を作ってしまったんじゃないだろうか」とか。
主人公に「強迫性障害」という病を与えたことで、私は最も症状が重かった日々をもう一度生き直さなければならなかった。それは本当に苦しい作業だった。それでもこの設定を選んだのは、この物語が、少しでも同じ障害で苦しんでいる人の癒しになることを願ったからだ。この本が出てから今日まで、そのことを祈らない日は一日たりともない。もしそれが叶うなら、私のあの苦悩の日々にも意味があったのだと思えるだろう。あの失われた年月も、報われるのだ。
執筆中私は「圭司」を生きていたのだが、ヒロインのまりあと三人のアシスタントに、たびたび救われた。
救命士として生と死の狭間で懸命に生き、搬送する一人一人の命に寄り添いながら笑顔でいられるまりあは、私が「こうなりたい人」だ。本物の優しさは強さという支柱なしには存分に力を発揮できない。まりあは、己の属性の中に「優しさ」と「強さ」を持っている。
まりあさんは全くの架空の人物というわけではない。私は『4分間のマリーゴールド』のノベライズにあたって、たくさんの救命士さん、消防士さんに取材をさせていただいた。命を救うお仕事をなさっているためか、皆本当に素晴らしい方ばかりだった。まりあさんと、作中のキャラクターは、実際にお会いした方々の印象をちりばめて書いたのだ。
強迫性障害にねじ伏せられている圭司(私)は、軟弱ではない本物の優しさに癒され、救われてきた。
圭司を生きる日々は痛み多いものだったが、この作品を執筆中、苦悩なく楽しめたのは、三人のアシスタントを書いている時だった。真面目で天然なのび太君タイプと緑色の髪のロッカータイプ。正反対の二人は最初はギクシャクしていたが、問題を抱える「島津先生」との関わりの中で、友情を育んでいく。そして紅一点の「岩間多代」というフランス人と日本人のハーフ。超絶美女でありながら「the オタク」「the 腐女子」の岩間さんを書いている時の楽しさと言ったらなかった。私の中にあるオタク気質と腐女子心を拡大して色付けし、一般的なオタクや腐女子の生体も織り交ぜて出来上がった強烈なキャラクターを、私は心から愛して止まないのだ。もし私が「おっさんずラブ」に出逢っていなかったら、岩間多代は生まれなかっただろう。いわゆるOL民とか腐女子と言われている人たちは心優しく愛すべき平和主義者達が多い。その属性を具現化したのが岩間さんだ。
私の担当編集者さんが注目してくれて「岩間多代さん面白い。彼女で一冊本書けそうですね」と言ってくれたのがとても嬉しかった。

『僕は人を殺したかもしれないが、それでも君のために描く』は「生と死」が大きなテーマになっている。
死は全てを虚しくするものではなく、死という運命を背負っていてもなお、人生は美しく、生きる価値があると、私自身が納得したいために書いているような気もする。
そして「愛する人の死は、永遠の別れではない。いつかまた会える」と、私自身が強く信じていることを、物語にしたいのだ。
『あさひなぐ』の著者こざき亜衣先生は『僕は人を…』の帯にこう書いてくれた。
「本当に美しい物語は、まず一番最初に書いた人間を癒す者だ。これはそういう物語だと思った」
両親、祖父母、私を可愛がってくれた懐かしい人たち、愛犬のしろとラッキー…、いつかまたきっと会えるんだけど、絶対に会えるんだけど…今は思い出すたびに悲しい。だから、 心を癒すために、私は物語を書いているのかもしれない。
『僕は人を…』の主人公圭司が、「君」という他者のために描くことで、自分も救われていくというのは、私自身と重なる。
 私にとっての「君」は、家族や友人であり、鬼籍に入った懐かしい人達であり、そして「読者」という名前も知らない存在なのだ。
「君」という他者のために心を込めて何かをすることを人生の目的の一つに据えた時、人は悲しみと共生しながら幸せにもなれるんじゃないかと思う。
だから、今日も私は「君」のために書く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?