相対的貧困と、働くことへの憧れと。
働くことに憧れていた子どもの頃。
大人になってみると。
働かなくて済むなら、それでも良いかもと思うのだけど。
おそらく仕事を辞めて、時間が空いたら、その分、新しい何かをはじめそうな気がするので。
昔も今も、あまり変わってないのかもしれない。
好奇心旺盛で。知りたがり屋で。
いろんなことがやってみたかった子どもの頃。
「勉強が好き」と言ったら、みんなに変な顔をされるので、黙っていたけれど。新しいことを学ぶのはいつも楽しくて。生きていることはそれ自体が学びと出会いの連続で。勉強なのになと思っていた。
仕事はどんな仕事でも。ひとつひとつが新たな学びと、発見であり。続けるうちに、発展して広がっていく。
自分に合わないものや、苦手なものもあったけれど。それを知ること自体が新たな経験で。貴重な体験だと思っていて。どこかで楽しんでいる自分がいた。好きな仕事、苦手な仕事、それぞれに違う、自分の心の動きに、わくわくしていた。
働いて、お金を稼いで、自分のやりたいことをしたいと思っていた。
我が家は、貧乏だったから。いつも「うちはお金が無いから」と、言い聞かされていた。事実、生活は質素で。制服も、学用品も、普段着も、お下がりで。新品を買ってもらうことはほぼほぼ無かったし。何なら扇風機やらちゃぶ台やらの家財道具も、粗大ごみの日に、拾ってきていた。(「こんな良いものが捨ててあったよー。まだ使えるのにもったいないねぇ。」と。)
買物に行って買うのはパンの耳。無料でもらえる大根葉も食卓に並んだ。
近所に住む祖父母が米を作っていたし、畑も作っていたので。食べるものが無いというほどではなかったし。住む家もあって。今振り返ってみたら、日々の生活費が無いだけで、そこそこの生活だったとは思うけど。
(経済的には極貧だったけど。文化的にはそこそこ恵まれていたから。)
貧困は美徳で、質素こそが最良とされていた、あの頃。
「贅沢は敵だ。」「欲しがりません。勝つまでは。(何に?)」「働かざる者、食うべからず。」がスローガンだった(笑)あの頃。(倹約家の母はともかく。父も祖父母も戦時中生まれなので、違和感を感じなかった様子w)
「勉強はしなくてよいから、手伝いをしなさい。」と言われて、怒られながら強制労働(笑)をさせられるので、家事は嫌いになった。(言い訳)
小さい頃から「うちは大学にはやれないから。職業高校に行って手に職をつけなさい。」と、言いきかされていたので。幼心にそういうものだと思っていた。(結局、きょうだい全員、何らかの形で進学したのは、皮肉なものですがw)
少しでも早く働いて。自立したかった。
小学生の頃は、新聞配達の仕事が憧れで。(当時は、小学生ができる仕事=新聞配達か牛乳配達だった。)頼みこんで、させてもらった(親の会社の新聞配達についてまわった)おぼろげな記憶がある。
働きたいのは気持ちばかりで。現実には、毎日の早起きも難しく、早々に挫折してしまったわけだけど。
そういえば、自給自足生活にも憧れて、祖父母の畑の一角を借りて、畝づくりをしてみたりもしていたから。(自給自足は空想の世界だけで。すぐに諦めてしまったけれど。)
単に無謀で、まわりが見えてなかっただけかもしれない。
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