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クリスタルを失くした光の四戦士

残り8

お世話になっております。

九条です。

今回の記事はファイナルファンタジーをテーマにしたエッセイで、短編有料記事になります。

ファイナルファンタジーのファンの方には是非とも読んでほしい内容です。

値段は800円とさせていただきます。


はじめに

私がファイナルファンタジー(特に坂口博信が開発総司令官を担当していた頃)のファンであることは随所に書いておりますが、良くも悪くもこの作品は私の人生を180度変えたと言っても過言ではありません。

そして、私は精神疾患を患っています。

そんな私が、眠っているときに、ファイナルファンタジーに関する悪夢を見てしまいました。この悪夢が心に強烈に張り付いてしまい、この悪夢を見てから、精神疾患の症状が悪化したように思います。

この夢を繰り返し見るというわけではありませんが、夢の内容をずっとくよくよと気にしてしまい、現実世界でも情緒不安定になったり、自分で自分を貶すような発言が増えてしまったりしました。

ところが、ある日突然この悪夢を克服しました。

世界の視え方まで180度変わるほどの出来事でした。自分の人生を180度変えたほどの作品に関する事象ですから、大げさな表現ではありません。むしろ当然の帰結だと思います。

この悪夢はそもそも悪夢ではなかったのです。これを悪夢だと解釈したのが間違いであり、なぜそのような間違いが起きたかと言えば、私がファイナルファンタジーの世界観について、誤った解釈をしていたためです。世界観についていつの間にか、忘却が生じていました。また、私の心の中にあった「最強」の存在について、そのイメージに綻びと亀裂が生じていたのです。

繰り返しになりますが、自分の人生を180度変えたほどの作品です。そこに、誤りや、イメージの綻びや亀裂が生じれば、自分の心の基盤が崩され、生き方にまで影響してしまいます。

私の精神疾患そのものは、現代の科学で寛解はしても完治させることのできない病気です。そのため、今後も、おそらく薬を飲み続け、治療を継続しなければなりません。心の病が気の持ちようで治せるという人が未だに多くいますが、そう簡単な話ではありません。

しかしながら、精神疾患がもたらす「苦痛」は気の持ちようでいくらか軽減したり、未来についての悲壮的展望を希望に変えることもできるのです。

今回は、私が悪夢を克服するに至った思考を記事にします。

精神疾患や悪夢で悩んでいる方のために、少しでも立ち直るためのヒントや、思考の変革の成功事例として、参考になればと思って、筆を執ることにしました。

ファイナルファンタジーがわからない方にも、できるだけわかりやすく書くことを心がけますので、ファイナルファンタジーが分からないよという方も上記に該当する方は読んでみて欲しいです。

作品のネタバレが含まれていますので、これから、ファイナルファンタジーをプレイする予定のある方は、プレイした後に読むことをお勧めします。

ただし、今回は何か綿密な自己分析を行ったわけではなく、ある日、突然、発想の転換とも言える思考の変化が起きました。そういう趣旨なので、参考にならない方には全く参考にならない可能性もあります。

更新履歴

誤字雑事の訂正や、微調整はここに取り上げません。

<2023/09/23>
完成・公開

対象読者

  • 九条のファンで九条の文章を読みたい方。

  • ファイナルファンタジー(特に古い作品)のファンの方。

  • 精神疾患や悪夢に悩んでいて、それを克服した体験談を読んでみたい方。

以上のいずれかに当てはまる方にお勧めします。

前提

「クリスタルを失くした光の四戦士」を本記事のタイトルとしましたが、光の四戦士とは、ファイナルファンタジーの主人公全般を表す言葉とさせていただきます。

厳密にいうと、ファイナルファンタジーⅣの主人公は「光」とは関係ありませんし、Ⅵの主人公は4人ではありませんが、便宜これらをひとまとめに、光の四戦士とさせていただきます。

特に本作品では、ⅢとⅤの主人公を想定に置いて記事を書きますが、一部、Ⅵの主人公を想定した記述もあります。

ファイナルファンタジーについて全く知らない方のために説明しておくと、ファイナルファンタジーシリーズの各作品はストーリーに繋がりがあるわけではなく、キャラクタも毎回異なります。世界観さえ毎回異なります。ただし、ファイナルファンタジーには共通した哲学のようなものがあり、それは、一言でいえば「希望」だと思うのです。

また、FFという言い方もしますが、これはファイナルファンタジーを単に略した頭文字です。

それと、クリスタルとは?と思う方もいるかもしれません。クリスタルは、ファイナルファンタジーにおいて、ストーリー上最も重要なアイテムです。作品によっては、崇拝の対象になったり、光や希望といった概念を象徴したりすることもあります。

特に、Ⅰ、Ⅲ、Ⅴにおいては、主人公はクリスタルに選ばれ、祝福されて、勇者になっており、言い換えると、クリスタルはファイナルファンタジーの主人公の証だとも言えます。

ところで、ジョブチェンジという言葉があります。これは実は和製英語で、ファイナルファンタジーが元になっています。RPGの多くに戦士や魔法使いと言った職があると思いますが、キャラクタの職を瞬時に変えてしまうのが、ジョブチェンジです。これもクリスタルに由来する能力であり、ファイナルファンタジーの主人公に許された特権です。

希望をくれたFF

さてここから、本題です。

私は、子供の頃、特に小学校の頃、家庭生活、学校生活ともに恵まれているとは言えない環境にありました。

家庭では虐待を受けていましたし、学校ではいじめにも遭っていました。

そんな中、親戚の家で、ファイナルファンタジーに出会いました。

最初にプレイしたのはⅢです。

この作品は「希望」という哲学を持っているとお話ししましたが、まさに、この作品は私に希望をくれるものでした。

ファイナルファンタジーというゲームは王道RPGですから、当然、世界を救うための旅をするゲームです。

この、「旅」という概念が私にとってまず衝撃的だったのです。

虐待やいじめに、とうとう心が耐えられなくなったとき、旅に出ればいいと思いました。私には光の四戦士のような強さはないので、魔物に殺害され、ゲームオーバーになるかもしれませんが、それでも、現状よりは旅に出る方が救いがあるように思いました。

※というか、Ⅲは難易度が高く、光の四戦士でさえ、油断していると簡単に全滅します。

小学生の目線ですから、普段一度も通ったことのない道の先に勇気を出して進むだけで、旅に出ることができて、その先にはファンタジーの世界があると本気で信じていました。

実際に旅に出ることはありませんでしたが、そういう空想が私の中で、心の大きな支えになっていたのは間違いありません。

ちなみに、Ⅲには「悠久の風」というテーマ曲があります。これがまさに、旅をしているという雰囲気を強烈に表現していて、印象深い曲です。

こちらで聞くことができるので、皆さんも一度聞いてみてください。

次に衝撃的だったのは「メテオ」です。

当時の私に、ファイナルファンタジーⅢをクリアするほどのゲームプレイヤとしての実力はありません。

そこで、親戚の方のセーブデータの続きから遊ばせてもらというズルをすることで、「メテオ」を知りました。

「メテオ」とは何かというと、ファイナルファンタジーの主人公や敵キャラは魔法で攻撃することができるのですが、隕石の雨を降らせて攻撃する攻撃魔法です。

小学生というと、仮面ライダーや戦隊モノのヒーローに憧れる方も多いと思います。また、ドラゴンボールのような少年漫画も流行していた時代です。

そんな中、「メテオ」を見たとき、人生で最高レベルともいえる感動を感じました。「メテオ」は、私の知っているあらゆる攻撃方法を超える、究極にして最強の攻撃方法と言えるものでした。

先ほど挙げた、仮面ライダーや戦隊モノのヒーローとは一線を画しており、スケールが違い過ぎます。

そんな破格の力を持つ、ファイナルファンタジーの主人公に強く憧れを持つようになりました。

また、いじめに遭っていたため、学校が嫌いでした。当時の私は「メテオ」で学校を加害者もろとも木端微塵に破壊するという空想をすることで、正気を保っていたことがあります。

当時、湾岸戦争が社会問題になっていましたが、同級生が「ドラえもん」がいたら、世界平和が実現するんじゃないの?と言っている中、私は、光の四戦士がいれば、世界平和はおろか「死者の蘇生」だってできるのに、という一風変わったことを主張していました。

※ファイナルファンタジーには、死者を蘇生させる「レイズ」、死者を最大値のHPで蘇生させる「アレイズ」という魔法があります。

そんなわけで、ファイナルファンタジーは、子供の頃に、大きな心の支えになっていました。いつしか、このゲームを崇拝するほどのファンになっていました。

人生を180度変えたとは?

中学に入ってからのことです。

中学に入ってからは、いじめに遭うことはなくなりました。厳しい部活で体を鍛えていたこと、武道の経験があったこと、成績がはっきりしたことで、頭のいい奴という認識が周囲に広まったことが原因ではないかと思います。

それでも、ファイナルファンタジーを崇拝するほどのファンであるのには変わりなく、であれば、「開発者は誰なの?」ということに興味が湧いてくる頃です。

スタッフロールから知ったのですが、ファイナルファンタジーの開発総司令官は坂口博信という方、そして私は特にファイナルファンタジーの音楽が好きなのですが、作曲者は植松伸夫という方だということが分かりました。

この御方に心の底から憧れました。

中3の頃でしょうか、ファイナルファンタジーが自分の心の支えだったからこそ、自分もファイナルファンタジーのような人の心の支えになるゲームを作りたいという理想を持つようになりました。いや、むしろ、自らの手で、ファイナルファンタジー(坂口博信)を超えたいと思うようになりました。

それは不可能かもしれません。しかし私は、不可能に直面すれば、むしろ、ワクワクしてしまい、不可能を可能にする方法を考えてしまいます。そんな感じで、大人になってからも司法書士試験に独学一発合格するという不可能を成し遂げています。

ゲームを作るにはいろいろな役割の人が必要です。ストーリーを考える人、絵を描く人、音楽を作る人。私は技能教科が苦手で、どれも自分には才能がないのが分かっています。

そんな中、プログラマという職があることを知ったのです。プログラミング抜きにはゲームを作ることはできません。

※現代ではプログラミング抜きにゲームを作るツールも存在するようですが、それでもプログラミングの考え方は必要です。

実際に、プログラミングの勉強をしていて、これは自分に向いているんじゃないか?と思いました。

迷わず、私は将来プログラマになるという決断を下しました。

当時、進学校に行く予定だったのですが、この将来の決定事項ができてからは、進学校を蹴り、工業高校の情報科に進学することにしました。

今思えば、工業高校の情報科はプログラマになる上では、良い選択肢だとは言えないのですが、それでも、プログラマになることはできました。

ただ、ゲームプログラマではありません。

これは、プログラミングを勉強するうちに、ゲーム以外のジャンルにも興味が出てきたからです。

とはいえ、ファイナルファンタジー(坂口博信)を超えたいという夢は持ち続けており、今個人的に進めている教材開発のプロジェクトが成功した場合には、起業してゲームを作りたいとも考えています。

そんなわけで、ファイナルファンタジーが私の人生を180度変えてしまいました。

クリスタルを失くした悪夢

大人になって精神疾患になってから、ひどい悪夢を見ました。

まず、私には中学の頃、異性の方ですが、最強のパーティの相方と言うべき同級生の女子がいました。(この方をMさんとします。)

Mさんとは友達なのか恋人なのかはっきりしない関係でしたが、少なくとも私の認識では、この人はファイナルファンタジーでいうところの「仲間」だと言えます。

中学時代、不可能を可能にするための、死線をくぐる戦いを一緒に戦い抜いて勝利を勝ち取った相方です。

この一緒に戦い抜いた思い出は、今でも自分にとって宝物と言える思い出になっていますし、この経験があったからこそ、不可能は可能にできるという自信を持てるようになりました。

司法書士試験に合格できたのにしても、この経験があったからこそかもしれません。

ただ、この相方のMさんとは、その後、関係が破綻しており、今となっては会うことすらできません。

こういう経験を元にした悪夢を見ました。

以下、その内容です。


私とMさんは、クリスタルをひとつずつ持っていました。

私は何らかの事情でMさんにクリスタルを貸し渡しました。

そしたら、私とMさんとの間に突如として見えない壁が出現し、彼女は私のクリスタルを持ったまま遠くへ遠くへ行ってしまったのです。


これは、ファイナルファンタジーを崇拝するほどのファンであることと、Mさんとの関係性を考えると、かなり衝撃的な夢であることは、伝わるかと思います。

繰り返しになりますが、クリスタルは、ファイナルファンタジーにおいて、ストーリー上最も重要なアイテムです。ファイナルファンタジーそのものを表すとも言えますし、作品によっては、崇拝の対象になったり、光や希望といった概念を象徴したりすることもあります。

通常なら、人に貸して良いような物ではありません。

そして何より重要なのは、クリスタルがジョブチェンジに必要なアイテムだということです。

私は当時、失業しており、どん底の人生を送っていました。この夢は、私の人生詰んだかのようなどん底の状況を暗示しているように思われました。


もう武器を握れない、戦えない…


FFではジョブごとに装備できる武器が決まっています。

例えば、ナイトであれば剣、竜騎士であれば槍、侍であれば刀、吟遊詩人であれば竪琴といった具合です。そして武器を握れないなら発動できないアビリティもあります。例えば、吟遊詩人の「うたう」は竪琴を装備していないと発動できません。

素手で攻撃できるモンクというジョブもありますが、これもジョブチェンジができなければ使えません。

繰り返しになりますが、二度と戦えないと思いました。この夢は、私の人生詰んだかのようなどん底の状況を暗示していると思いました。

変化はある日突然に

この夢の解釈が、ある日突然に、180度変わりました。それからは、この悪夢を完全に克服したのですが、ここからは、その過程をお話しします。

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