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テストの間違え=ありのままのその子、であって、点数がその子を表すんじゃないよって話。


音楽の時間、みんなはね、
がくふもよめて
リコーダーだって
きれいなねいろでひけるし
どんなえんそうでしたか?
というしつもんにも答えられる。

でもかなわね、
がくふだってただの
オタマジャクシ
があそんでる
ようにしか見えないし
リコーダーの指づかい
だってわからない
どんなえんそう?と聞かれたって
どんな言葉が
広すぎちゃってわからなくなる。

・・・これは「かなわね」の
原画であり、原文。

ちょっとわかりずらい表現なので
製本した際に、
「どんな」という
言葉が広すぎちゃって
わからなくなっちゃう。
と直してしまったのだけれど。

ずーっと取ってあった
小2の頃の美沙のテスト。
100点満点で10点。

のび太くんやらカツオくんやら
まるちゃんでしか
見たことのなかったそんなテスト。

だけど。
美沙にとっては100点満点のテスト
だったりするのです。

え?なにおっさってるの?って?

解説しまーす笑


名前隠しちゃってるけど
正真正銘
美沙のテストです。

唯一合っていたのは一番最初の
おたん生日に、なにを 
もらいましたか。

おばあちゃんから
もらったものはわかった。

でも、「黄色」と「声」が
ミックスされた漢字。
そして赤ペンで
訂正が入らなかったこと。
ありのままの答えに
◯してもらってる。

そんな答えに
◯をいただけたこと。
く~~~泣ける。

途中の問題は
なんとなくここかなって
書いたところが
微妙にずれてる消した後。

で、最後の問題は
全く分からなかったようで、
先生が文章に〇して
ここよって
線を引っ張ってくれたものを
書き写すっていう答え。

なんでこれが残っていたかって、
当時の連絡帳に
貼ってあったのを
何の気なしに当時の記録として
残していたから・・・
だったんだけどね。

これが美沙にとっては
100点満点のテスト

だったりするのです。
という私の所以はね。

美沙自身がこうだって思って
書いてることだから。
そして、わからないことは
わからないから、
そこは白紙。

うん。それが正解なのよ。

美沙が考えて出した答えが
美沙にとっては正解。

・・・って思うわけで。

世の常識から言ったら
明らかにそれは不正解。
だけどね。

学習という観点から見ると、
まったくもって不正解だけど。

でね。
最近、最後の問題のすごさに
おおってなったのです。

「ぼく」は、てんとう虫を どう
しましたか。

で、最初の「かなわね」に戻る。

そうなの。
小2の美沙は
「どう」で引っかかってたんだ!
ということを15年目にして
発見したこと。

もしこの問題が
もっと別の表現で
書かれていたとしたら・・・

当時の美沙は答えられたのかなぁ。

というか、ほんと
このテストまるまる、
美沙という人を
表現していたんだなぁ。
って思ったらね。

10点という数字しか
見えないけれど、
私にとっては
100%完ぺきにそれを
表現してる。

という言葉に置き換えて見ちゃう。

けどおそらく当時は
10点しか取れなくて。

え?
ねぇ?
答えはさ、
問題ちゃんと読めばわかるのに、
なんでこれが書けないの?
おかしいよ。
よく読んで!
なんでよく読まないで書いてるの?
読んでるならかけるじゃん!
って、きっと私に
怒って言われちゃってさ。

ええ。
おそらくあの当時の私なら
そう言ってたと思う。

だって小2の問題だよ?

こんな簡単な問題だよ?

なーんて思うわけ。

でも、美沙にとっては
難しい問題だったというわけよね。

難しいんだよ。

どんなにそこに
答えが書いてあったとしても。

読めば分かる事も、
それはスムーズに読めれば・・・
という条件が付くことだから。

「どう」がなんなのか。

そこがわからなければ
全くもって答えられない
そんなテストだから。

もしかしたら、
これだけ圧倒的に
文字が書いてあったら、
どこをどう読んだらいいのか、
そんな問題も
抱えていたのかもしれない。

でも、結果しか目に
入っていないものだから。

この子、
この先どうなっちゃうんだろう。
テスト10点だよ?

って、全くもって見えてない
美沙の未来のはずなのに、
勝手に私が見てきた
過去のものを一生懸命
当てはめて、あーこうなるよ、
いや、もっと
こうなっちゃうかもよ?
ほらっ!
そうなってんじゃんってさぁ。

勝手に想像膨らましてるわけ。

でも、
「今」しか生きていない子ども
だから。

たとえ8歳という
まだまだ年端もいかない
そんな歳だったとしても。

今日がそれまでで
一番経験している、
そんな子どもを目の前に。

全くもってそんな
子どもの未来なんて
見えないはずなのに、
さも見えているかのように見てさ。
・・・マボぉロシぃ
だよ。
すべては、マボロシなんだ。

じゃなきゃ・・・

こんな絵本の表紙も。

こんな優しいお母さんの顔も、
描けないはずなんだ。

この絵はね、
言葉で表現される以上に、
私には心の奥深くに
伝わってくるのです。

なんなら刺さってしまうほど。

10点しか取れなくても。

そこに書かれている文面を
読んでいただけたら、
まさか、このテストの持ち主が
こんなことまで書けるの?

そう驚かれる方も
いらっしゃるんじゃないかしら。

何より、当時その
テストを見ていた私が
誰よりも驚いてることだから。

こんな、あの時には決して
見えるはずのなかった可能性が
この10点に眠っていたのです。

って10点も
それだけ価値のある10点
だったということに、
今気づけること。

気付くことに
遅いなんてことはない。

子どもが成長しながら、
親も一緒に成長してるんだよ。

だからこそ、
目の前の子どもが出す
テストの点数を
見るのではなく、
テストの中身を
じっくり見て見てほしいの。

その子が何につまずいているのか。
その子がどう
その問題に答えているのか。

果たしてそれは
本当に問題なのか。

なんで自分は親として
それを問題と
思ってしまうんだろうか。

そっちに耳を
きちんと傾けてみるといいよ。

テスト一枚で
こんなにも深い世界が見られる私。
うふふ。
ラッキーなのよん笑

そんなテストの点を
取っていた美沙は
今日ものびのび、
@パークホテル東京で
自分の好きを
突き詰めております。

可能性は
点数なんかじゃなく
その答えにあるよ。

正解とか
不正解とか

そこをちょっと置いて
眺めてみてね。

今日もここまでお付き合いくださり、
本当にありがとうございます。


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