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なーんだ。こんなにかわいかったんじゃん。

美沙が生まれながらにして
持ってきたもの。

まだ赤ちゃんだったころ。

写真を撮ると
常に眼が内側によっていて。

赤ちゃんって
よく眼が寄ってるよねぇ・・・
なんてあまり気にして
みていなかったんだけど。

5か月の頃に、
喘息様気管支炎で入院した際に、
たまたまその病院に
小児眼科があったので、
何の気なしに相談してみたところ、
調節性内斜視という
眼が内側に寄ってしまう疾患と診断。

そして8か月で
治療のために
眼の位置を外側に矯正するための
メガネをかけ始めた。

赤ちゃんがメガネをかける?!?

そりゃ珍しい。

私自身もそれまでの人生の中で
そんな赤ちゃんに
お目にかかったことはないわけだから。

街中でも見かけることはなく、
それどころか嫌というほど
いろんな視線を感じた。

一番参ったのがね・・・

小さい子が
「ねぇ?どうしてこの子は
 メガネをかけてるの?」と
聞いたとたんに
「はっっっ!!!
 なんてことを聞くのよっ」
って言ってるかのように、
その子のお母さんが
スーッと手を引いて
その場を離れてしまうことでした。

・・・そんな悪いこと
聞かれちゃったのかなぁ。

そう感じると悲しくて寂しくて。

あるいはさ。
「メガネかけてるなんて
 かわいそうにねぇ・・・」って
言われると。
・・・ごめんね、
ちゃんとした眼に
産んであげられなくて。。。

そう感じると
悲しくて悲しくて悲しくて・・・

結構これもこれで
落ち込んでいたなぁ。

でもふと。

小さい子が
どうしてこの子は
メガネをかけているの?って
聞くのは

ねぇ、どうして水は冷たいの?
ねぇ、どうして火は熱いの?

と、ただその子が見えている、
感じているありのままが知りたい。

だから聞いてるんだよねぇ・・・

なんてことを思ってからは、
たとえその場から
お母さんが手を引っ張って
去ろうとしていたとしても、
その聞いてくれた子に届くように
「あのね、
 この子はね、
 眼が寄っちゃうから
 メガネをかけて治してるんだよ」
なんて伝えさせて
いただくようにしていた。

かわいそうに・・・

これっておばあちゃんが
言ってくださることが
多かったりしたのだけれども。

ふと、かわいそうって何だろう。

赤ちゃんなのに
メガネをかけていること?

でもそうやって
メガネをかけなければ、
きれいなものが
ちゃんときれいに見えないってこと
なのかもしれないな。

・・・でも、
私が思うきれいに見えているものが、
美沙にとっては
同じようにきれいに見えるものなのか?
いや、
それをきれいと感じるのだろうか?

もしかしたら、
この子のこの眼の位置だからこそ
見えている、
きれいなものもあるのかもしれない。

それがきれいかどうかなんて、
全部自分で決めたらいいんだよ。

眼が寄っている世界は
寄っていない者にとっては
不都合に見えるけれど、
産まれたときから、
その世界を見ているということは
それが当たり前の世界であり、
それは眼が寄っていようといまいと、
あるいは何かそこに
ハンデがあろうとなかろうと、
それを持って
その人が見ている世界が
その人にとって
当たり前の世界なんだわね。

ついつい
自分の見ている世界が普通で、
目の前の子どもが見ている世界を
こちら側の世界に
変えようとしてしまうけれど、
その子が持っている、
神様から授けていただいている
本当に大事なものはさ、
そう簡単には
誰の世界にも染まらないんだよ。

と、そんなことを書いてみて
ふと思ったの。

美沙にとっての
ハンデと言われている学習障害
(書いた当時は
 まだ未診断でおそらく・・・
 の視点)。

これも美沙にとっては
持って産まれたもの、
だったんだ。

みんなと同じように
できないことがあることは、
やっぱり不便だし、
困難な部分も
沢山あるかもしれないけれど、
だからこそ見えてくる
景色もあるわけで。

それは決して
美沙を否定するものでもなく、
美沙をダメだと
ラベリングするものでもなく。

決して美沙を見ている
その人の世界で
かわいそうだと見るものでもなく。

持って産まれた世界。
授けられた世界。

だからこそ、
どうかそんな世界を
大事にしてほしいのだ。

誰が何を言っても。
誰が何を思っても。
自分に見えている世界。

それはきっと誰にも
侵すことのできない大事な世界。

私って変かな?
私っておかしいのかな?

そんな風に
疑ってしまう自分ですら、
本当は侵すことのできない
大事な世界なのだから。

メガネはもうかけたくない・・・
そう言って
中学からはメガネをかけるのを
止めたけれど、
今では目の寄りは
ほとんど目立たなくなりました。


当時の写真を見ると
本当にかわいいメガネちゃん。

歴代メガネ。
2代目が1番かけてもらえなかったメガネ。
かけさせるのが本当大変だったのよ。
ってほどに気づいたら取ってる2歳くらいの日々。
第1号ちゃん。
ツルの部分をかみかみしていた跡。
でも手のひらにすっぽりおさまる
メガネのサイズがほんとにかわいいの。



何にも
嘆き悲しむこともなかったなぁ。

ま、そんな豊かな世界が
あったと思えるのは
ずーっと後の話だけど。

今だったら・・・
見て見て見て――――
かわいいでしょ?

赤ちゃんで
メガネかけちゃうんだから。

ってなんなら親バカで
自慢しまくるけどね(笑)

・・・っていうように、
私はこんな
小さいころの美沙の世界から
いろんなことを
感じ取っていたんだなぁ。

やっぱりそれって幸せなんだ。

あ、それとね。
この疾患で
めちゃくちゃ苦労していたのが
毎回の眼科検診。

ランドルト環が
なかなか理解できなくて、
毎回検査で手こずっていました。

Cを見ても、
開いてる方向が伝えられない。

つねに ハテナ ? はてな。

3歳頃まで
そんな苦労をしていたけど、
年中さんになって
ある時を境にできるようになった。

Cだったら
開いてる右の方向に
指を「シューン」と言いながら
動かしてみたら
そこでようやく繋がった。

これも、
なんでできないんだろうっていう
思いと、
検査終わりの視能訓練士さんが、
またか。ふぅって
ため息ついてる気がして、
それも本当に嫌だったのよね。

そして私は怒らなくていいのに
美沙に怒っちゃうわけ。

でも、今にして思うと、
ちゃんと動きと意味がつながらなきゃ
動けなかったってことで、
まだまだそこは
未発達だったんだなぁと。

そこもthe❤︎葛藤だわね。

本当、子育てって未知の世界よね。

誰もこうなるって
教えてくれなかったもの。

でも。
教えてもらったからって
そう思っただろうか。

うひゃひゃ。

この私だもの。
そんな素直に行くわけないわね(爆笑)

っていうか。
みーんなそんな未知だらけの中、
いろんなもの見て考えて。

ほんと、
一生懸命やってるってことだよねぇ。

もうそれだけで合格なのよ。

みんなぐっじょーーーーぶよ。

今日もここまでお付き合いくださり
本当にありがとうございました。


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