「何者かになれない」ことに対し「悩み続けろ」はあまりにも酷すぎる。
「何者かになりたい」「特別になりたい」
それは何者でもない人達が抱える飢えであり、願いであり、夢そのものです。
“何者か”の部分が小説家でも漫画家でも声優でもなんでも構いません。
兎に角、この想いを抱える人間は皆、“何者か”になれないから苦しみ、倦んでいます。
人間にとっての幸福とは理想と現実の差異が少ない状態である、という旨をいつかの記事でも話しましたが、この状態にある人間は、理想が届かない位置にある以上ずっと不幸なままです。
夢というのは呪いに似ている、なんて言葉は巷では溢れかえっていますよね。実際夢は叶わない限り身を蝕み続けるのですから相違ありません。呪いを解く方法は夢を叶えるしかないのです。
なぜ唐突にこんなことを書いたのかといえば、にゃるら氏の記事に影響を受けたからです。
にゃるら氏は記事内で
と語っています。
本人も綺麗事だと言っていますが、この“答え”が「何者かになれないこと」を倦ねている人の“救い”になるとは思えないのです。
そもそも悩みに悩んだ末に車道にまで飛び出した人間に対し、人間だから悩めるんだと「悩むこと自体」を肯定しても、慰めにはならない気がします。
漫画本編を読んでないので、載せてあったシーンのみでの判断ですが。
にゃるら氏がこのシーンを肯定できるようになったのは、自身が報われた側の人間だからだと思います。かつてはにゃるら氏も“何者でもない”期間を経験し、質問者の方のような悩みも持っていたと思います。
でも、その果てに報われ、呪いを解いた氏に、本当の意味で寄り添った答えが出せるでしょうか? 自分が雪の降る夜道のような人生から抜け出せたからこそ、その懊悩を肯定できるようになっただけだと思います。
にゃるら、お前“浅薄”なっちまったな。かつてのお前はもっと含蓄があったぞ。
「何者かになりたい」と悩む人間がどうすればいいか。
そんなもの「何者かになる」以外ありません。
しかしこの回答も、少々厳しいものかもしれませんね。夢というのは易易と叶わないから夢なのです。
ならばあなた自身を好きになってください。特別じゃない、何者でもない自分を好きになるのは難しいかもしれませんが、どんな自分でも肯定してあげてください。そして自分を肯定してくれるコミュニティに所属してください。そうすれば、その“何者か”が“自分”になり、ありのままでいいと思えます。
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