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なんだかんだでニートしてた頃が人生で一番楽しかったと思う。

少し前にもツイッターで見かけたのだけど、「ニートでいるのもそれはそれで辛い」みたいな言説を宣う人がいる。


そういう人は労働により社会との繋がりを得ないと不安だとか、何もやることがないのは耐えられないとかで鬱になるらしいが……正気か?

今の時代社会的繋がりなんてインターネッツのコミュニティに所属してれば十分だし、やることなんて無限にある。

労働で病むのは当然だが、労働しないことで病む人間がいるというのは新たな知見だった。

実をいえば僕も一時期ニートだった。
新卒で入った会社がネットでもまぁ有名なレベルのヤベェ企業くんで、一年ほどで精神がぶっ壊れた僕は、自殺一歩手前でなんとか会社から逃げ出した。

そっから7,8ヶ月ほどニートしてたのだけど、ハッキリ言って人生で一番楽しい時間だったかもしれない。

好きな時に起きて好き時に寝て、好きなものを食って好きなことをやる。
何もかもを自分の思い通りにできて、ストレスになる要素(仕事)が一切ない。これで幸せと言わずなんと言うのか。

僕は人生における幸せな環境とは、“自由であること”“自分が望まない責任を負わなくていいこと”だと思う。

この環境にいれば人はどこまでも自分らしく、幸福を追求出来る。

時間もありストレスもないから、人に対しても優しくなれる。友人たちとの交流も復活し、旅行に行ったり気になってた店を巡ったり、ふとした思いつきでぶらついたり、四季の移ろいの機微を感じ取ったり、感情も豊かになる。

労働がいかに人間の精神を害していたかがわかる。
仕事によって生活のほぼ全てを奪われていると、「時間があればやりたいこと」は一生出来ない。

実際、僕にも仕事してた時に「時間があればやるのにな~」と思いつつ出来てなかったことがあった。それは小説を書くことだ。
元々僕は小説家になりたかった。しかし就職してからは仕事に可処分時間と精神が蝕まれて執筆どころではなかった。

仕事を辞め、精神が回復してから真っ先にしたことは小説の執筆だった。友人たちとの旅行時以外は毎日小説を書いていた。書いていない時も常に小説のことを考えていた。

“小説を書く”という行為は勿論楽しいだけでなく、寧ろ9割くらいは辛いことだが、仕事してない分「一日で許容出来る精神的苦痛」には余裕があった。

そんなこんなで書き上げた小説は新人賞で三次までいき、受賞の電話が編集から来るかどうか……というところで落ちた。結果だけいえば落選以外の何物でもないけれど、戦績としては誇らしいものだった。小説の新人賞は多いとこで何千人と応募者がいるが、一次時点で殆どは落ちる。三次まで残ってる時点で全体の上位6%以内だ。十分才能があるなと思えるラインだった。このまま書き続けていれば、そのうちプロになれるでしょ、という慢心すらあった。

でもそれ以降、僕はまともに小説を書けていない。
理由は単純で、仕事で忙しくなったから。

続けられるなら一生ニートしてたいと思っていた僕だけど、お金がなければニートもできない。貯金が尽きた僕は仕方なく就職した。

仕事しながら小説を書いてる人は勿論いるけど、僕は一つのことにしか集中できない性格だ。
仕事が始まれば仕事が自分の人生においての最優先事項になるし、そこに支障が出そうなもの(執筆)にうつつを抜かしてる場合じゃなくなる。

小説を書くとなると、プロットやら本文の執筆時間だけでも莫大な時間が必要になるし、実地調査や取材、資料集めの時間も確保しなければならない。仕事しながらだとどうしてもそこがネックになる。

普通に会社勤めしながら小説書いてる人(というか創作活動してる人)、マジでバイタリティすげぇな……って思うよ。もしかしたらプロに必要な一番の資質はそこなのかもしれない。

少し話は逸れたが、兎に角人生経験の一つとして、一回くらいはニート期間を経験しておくのもありだと思う。いってしまえば何にも囚われず自分を見つめ直せる期間でもあるし、そこで自分が本当は何をしたいのか、っていう指針が見つかるかもしれないしね。

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