「おネコちゃん」のわたし
初対面ウケよし、社交的で冗談も好き。誰とでも仲良くお話できるし、嫌われず、どこのコミュニティでもそこそこの評判を得る。しかし一定以上の距離感を詰められず、特別嫌われもしなければ、特別好かれるわけでもない。笑顔の鉄仮面の裏で「わたしは孤独だ」と信じて止みませんでした。
それはずうっと私のコンプレックスで、「誰も本当の私なんて知らない」「いい人と言われて距離をとられる」「壁をつくられる」と、彼にメソメソ泣き言をいったこと、数知れず。
でも実は、私が素の私がどういう人間かということを忘れてしまっていて、その正体不明で不確かな私を世に放つことを恐れに恐れて、自分で何重もの仮面をかぶって安心していたのでした。
距離を作っていたのも私だし、仮面をかぶっていたのも私だし、そうこうしているうちに、自分でも素顔がどんなだったか分からなくなった。
転機は不思議なもので、8月の一ヶ月、彼と二人で休職して、二人でおうちで過ごして、脳を使わないくだらない遊びをたくさんしていた時に、「私はなんの曲を歌っても、だいたい歌詞を覚えていない」ということが判明しました。
音楽は好きだしそこそこ聴くからメロディーラインもCDのアドリブも完璧に覚えているのだけど、メロディ感性に全振りしすぎて、歌詞はひっちゃかめっちゃか。
ある日、少しずつ充電して少しずつ元気になってきた頃、それを気にせず気持ちよく歌っていたんです。そうしたら突然彼が「ふざけすぎ(笑)意味わからん(笑)」と息ができなくなるほど爆笑しました。ビートルズでもQueenでも、サザンでも、GLAYでも美空ひばりでもダメでした。何を歌ってもヒーヒー笑ってました。
今までの私は、メロディーラインを完璧になぞって、曖昧なところはうまいこと誤魔化して、いい感じの鼻歌を歌う女だったのですが、ここに来て一気にその神話は崩れました。
私としてはちょっと恥ずかしかったんだけど、彼が死んでしまうのではないかというほどヒーヒー笑うものだから、なんだか私も楽しくなって、その日はデタラメソングをたくさん歌って、二人でたくさん笑いました。
私が、彼の前でも長年外しきれなかった最後の仮面を外すことができたのは、この日です。全く意味がわからないエピソードだけど、私が真面目にやって、全力で失敗した「恥ずかしい」ことを、笑いに昇華して世の中に受け入れられたことが、そして求められたことが、なんだかすごく安心したのです。
それを皮切りに、私は彼との対話の中で少しずつ、まっさらな自分を発見していくことができました。
それからというもの、私は自分の素がどういう状態なのかを、少しずつ認識していくことができました。
結構ポンコツで、不器用で、泣き虫で、あんまり世の中とか流行りに興味がないです。だけど、自分の周りの世界に対しては一途で、密かに熱い情熱を持っています。これという主張はないけれど、その分受け入れられる視野は広いです。全部、たしかに一理あるなあと思って吸収しちゃいます。消化不良を起こしやすいけど、食わず嫌いはあんまりしない雑食思考です。だからこそ、腹をくくったものには、結構頑固です。
なんとなく、私というのはそういう人間です。
これが全てではないんだけれども、私という人はだいたいこんな子だなあ、というのを俯瞰で見れた時、今は無理しているなあ、ということが分かりやすくなりました。
「本当に『おネコちゃん』だよね〜。知らない人が遊びに来たら、玄関にお出迎え行ってスリスリして、あら〜人懐っこくて可愛い子ね〜とか言われて、気づいたらソファの下でトイレ行くのすら我慢してるタイプのネコ。」
彼にそう言われて、意外とかわいいタイプのネコだなあ、と思ったら、なんだか自分を、ふふふ、と見守れるようになりました。
今は結構、自分を嫌いじゃないです。そして、そんな自分の仮面をペロッと外してみても、案外受け入れてくれるこの世界と人間たちに、意外と興味が出てきました。私のことを好きでいてくれる人のことを、私のことを好きでいてくれる人として受け入れられるようになりました。
「ニンゲン、意外と怖くないかもしれない。」と彼に話してみたら「結構面白いでしょ」と言われました。そうかもしれない。
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