俺達はなんのために勉強するのか

 県内でも有数の進学校、生徒の半分以上が"難関大"と言われる偏差値60以上の大学に進学するような場所。そういう場所で、私は今働いています。

 担当学年は高校1年生。いよいよ受験の影がチラつき始める年頃ですが、数年後のことを考えて動き始めている生徒は恐らく半分程度。

 いや、逆に半分もいるのがすごい。流石は進学校という感じですが、イマイチまだエンジンがかからない生徒がいるのも事実。

 まあ自分も高校時代は部活に明け暮れていて、高校1年のときなんて勉強の"べ"どころか子音の"b"すら頭になかったので、気持ちはわかります。

 でも、だからこそ、そういう生徒に響く言葉で、受験勉強に対して少しでも前向きな気持ちになってほしい、とも最近思うわけです。


 じゃあ、私たちはなんのために勉強するの?

 大人の立場からはいくらでも理由は出てきます。でもその多くの理由は、高校1年生にとって響くのものなんでしょうか。

 恐らく大人が一番子どもに勉強してほしい理由、それは「良い大学に行って生涯賃金を上げるため」。

 でも子どもたちにはこれは響かない。理由は大きく分けて2つ。

 一つは「お金のない生活が想像できない」。進学校に通う子どもは多くの場合、比較的家庭に経済的余裕のある子どもです。平均水準以上の生活を送る中で「貧乏な生活を想像して嫌がれ」と言ったって、まだ社会に一歩も出ていない子どもにとっては酷なことです。

 もう一つは「結果論すぎる」ということ。生涯賃金が確定するのは、当たり前ですが人生を終える瞬間です。そう、話の内容が未来の話すぎるんです。毎日の楽しさを求めて行動する高校1年生に、どれだけ生涯賃金の差を説いても聞く耳を持ちません。特に、現時点で勉強する意味を見出せていないような子どもには尚更。


 じゃあ一体、私たちは彼らに何を説くのか。

 なぜ俺達は、勉強をして、良い大学に行ったほうがいいのか。


 私の答えは「そのほうが面白いから」です。

 結局未来の話かよ…と思ったそこの勉強しない高校生のあなた。違います。これは未来の話でもあり、今日の話でもあります。

 今日、子どものあなたはどんなふうにして過ごしましたか?勉強が嫌いなあなたは、授業中に寝たかもしれません。家に帰っても勉強はしないかもしれません。先生に怒られたかもしれません。

 でも、今日もそこそこ面白かったですよね?

 勉強から逃げ続けてダラダラ過ごしても、一日の中で、友達と話して心の底から笑える瞬間が一度や二度はあって、先生の話にも「へー」って納得できる瞬間が少しはあったはず。

 そんな些細な「面白さ」を、80年間失わないようにすること。それが、あなたが勉強して良い大学に行ったほうが良い理由です。


 あなたがいる学校は、入学試験で一定の点数以上を取った生徒しかいません。しかも、中高一貫ともなれば、中学受験なんて子どもたちに対した勉強量の差なんてありません。つまり、スタートラインは全員ほぼ同じで、みんな地頭の良さはほぼ同じなんです。

 だから、高校のテストの点が良くても悪くても、クラスメイトとの会話は成立するし、ある程度楽しいし、自分の居場所を感じることができます。

 でも、大学入試ではそうはいかない。一発勝負のテストの点で評価をされる大学入試の世界では、地頭の良さを直接は評価されません。 

 そう、勉強をせずに大学入試に臨んだとき、高校時代にあなたの周りにいたような素敵な仲間とは、もう一緒にいることができない可能性があるんです。

 「IQが20違うと会話が成立しない」という言葉がありますが、「頑張ってもその大学にしか行けなかった人」と「頑張ったらもっと上の偏差値の大学に行けた人」の間には、それくらいの違いがあると思います。

 あなたが高校生活をそこそこ楽しく過ごしているのは、友達の地頭が良いから、先生の話がある程度ハイレベルだから、そして、あなたの頭が良いからです。

 同じくらい頭のいい人と一緒に、同じくらい偏差値の高い大学を目指すべきな理由はそこにあると私は思います。

 そしてそれが、楽しく充実した大学生活につながり、楽しく充実した社会人生活にもつながるんじゃないか。そう思うわけです。


 直接的な表現は避けたのでいろいろと分かりづらかったかもしれませんが、これくらいのことのほうが、生徒の心には刺さるんじゃないでしょうか。

 高校1年生なら、人生における「本当の面白さ」みたいなものにそろそろ気づくはずです。そんな子どもの成長に合わせたアプローチができるといいな、と思っています。

 まだまだ半人前の教師ですが、少しでも子どもの未来が明るくなるように、これからも頑張っていこうと思います。

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