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オススメ小説「剣樹抄」著:冲方丁【感想】


【オススメ小説】
タイトル:剣樹抄
著者:冲方 丁
出版社:文藝春秋

多少のネタバレ在りなので、未読で気になる人は「感想」まで飛んでください。

あらすじ

 江戸城の天守を焼いた「明暦の大火」は災害ではなく幕府転覆を狙った人災であった。水戸藩の世子たる水戸光國は、声真似や聞き耳などの異能を持つ子供達「拾人衆」を率いて放火犯を追う。しかし光圀は拾人衆の一人である了助に対してある負い目があった。かつて自分が切り捨てた無宿人が了助の父であったのだ。

江戸時代を舞台にして「テロリスト」vs「治安部隊」が描かれる諜報活劇。 

時代背景

 島原の乱を最後に戦がなくなり、浪人があふれ世の転換期とも言える時代。新たな制度や文化が生まれ、時代に馴染めず枠からはみ出た者は徒党を組み幕府に恨みを募らせた。

それは慶安の変(1651年4月)という形で発散される。由井正雪の主導による江戸放火での攪乱と将軍確保、京での天皇誘拐を目論む同時多発襲撃計画。しかし、構成員の密告により露見し頓挫する。計画の為に作成された江戸城下の地図は「由井正雪の図」と呼ばれ本編に登場する。

又、商業の発達による影響での農業の破綻や何らかの理由で村から江戸に流れ着いた無宿人も増えていた(本編当時は人足寄場はまだ無い)。主人公の「了助」を始めとした拾人衆もまた無宿人の子が多い。

了助について

 目の前で旗本奴に父を惨殺され、親代わりの存在であった三吉を大火で死に別れる。さらには、無宿人仲間であった源左も火付けにより失った。

己の身に降りかかる厄災を文字通り”振り払う”為に身に着けた独自の棒術「くじり剣法(光圀命名)」を引っ提げ、”親達”の仇討ちを目標とする。

 拾人衆として拾われた了助は当初は元の一人暮らしへ戻ろうとする。”安心な暮らし”が自分を弱くする、そして今までの”安心でなかった人生”を否定されているのではないかという漠然とした思いがあったからだ。

根底にあるのは”弱さの否定”と”失う恐怖”である。前者は自分が強ければ旗本に立ち向かうことが出来たかも、或いは三吉を担ぐ膂力があれば彼は死なずに済んだかもいう思い。後者は自分に関わる者は悉く死んでしまったという経験と、もう大切な人に死んでほしくないという思い。故に一人で暮らしており、当初はその生活に戻ろうとする。

 そんな、了助から見れば自由で在りながら膂力と権力を持ち拾人衆にも分け隔てなく接し、自分が恐怖した氷ノ介にも立ち向かう光圀は畏敬と尊敬を抱いてしまう人物であった。

様々な人物・事件をきっかけに”弱さの否定”は”強さへの問答”、”失う恐怖”は”守る勇気”へと変わっていく。その手には吽慶の形見の「うてな」。力の象徴でも在り、命を容易く奪う凶器でもある”刀”としての形を封印した不殺の得物。「うてな」を振る姿は”地獄を祓う”ようだと評されるが、彼は後に降りかかる地獄を振り払うことが出来るだろうか。

光圀について

 幼少期に尊敬する兄を差し置いて水戸家の世子に選ばれたことが原因で鬱屈した青年時代を過ごし、歴史書と出会い人生観が一変し現在に至る。

青年時代に身分を偽り他の旗本奴とつるんでいて、その際に自らの面子の為に無宿人を切り伏せる。無宿人を斬らざるを得なかった自分、そして剣の腕が未熟故に無宿人を不必要に苦痛を与えてしまったこと悔やんでおり、光圀も又「強さ」を求めた過去がある。(詳しくは別作品「光圀伝」)

地獄は人の心にある

 タイトルにもある「剣樹」は仏教における八大地獄の周囲に存在する四門地獄の一つで刃の葉で覆われた木々が無数に生えており、それを登り降りさせられる「鋒刃増」を指す。また十六小地獄の「剣林処」や「大剣林処」を含むと思われ、こちらは暴風に舞う木の葉が剣のように四肢を切り裂き、獄卒が竿で罪人を打ち付ける。

前者は了助にとっての”剣樹地獄”であり死別や葛藤、人を打つことに一時とはいえ快楽を感じた暗い自分という剣樹に自らの意思で立ち向かわねばならないこと。また後者は光圀にとっての”剣樹地獄”であると想像でき、過去の行いや了助に対する負い目が自らを切り裂き、最後は獄卒了助によって罰をうける棒で打たれるべきと思っている。

 主要人物もそれぞれ”自分の地獄”を抱えており、心を切り裂かれながらある者は地獄を脱し、またある者はさらに地獄へ進む。

 作中の罔両子曰く「地獄も極楽も、人の心から生ずるもの」であり、それに対する了助の「地獄って、本当にあるんですか?」という問いはこの作品のテーマであると思う。残忍な犯行を行った者に対して了助は罪悪感があるのではないかと疑問を呈した時、世の中には悪妄駆者あもくものがいると同氏が諭している。悪妄駆者あもくものとは「面目も正気も失い、この世の亡者となり果て、大勢を殺めれば名誉を取り戻せると信じる者」だそうだ。

怒りに身を任せ、恨みを晴らすために仇を打ち据え、相手を制する優越感を抱いたとき既に了助の心には地獄の片鱗が現われていた。自分の怒りの発散の由縁を死者に押し付け、その行為が自身の行為であることを忘れてしまったからだ。そして、その結果として一人の命を奪っている。その事実が了助にしかかる展開が今後あるかもしれない。

感想

 時代背景や史実の人物にあまり詳しくなくとも放火犯を追う剣劇サスペンスとして楽しめる。氷ノ介を追うという縦軸に江戸時代を彩る傑物が絡むという物語構成の為、ある程度人物像を押さえておくと「まさかこの人物がこうやって事件に関係してくるのか」という驚きがあってより物語を楽しめる。文章も堅苦しいものでは無く、了助と氷ノ介の剣術や拾人衆の異能など文字ながら映える描写が続き、元が連載作品ということもあり起承転結のあるいくつかの章に分かれているので読みやすい。

 難点があるとすれば、巻数表記が無いだけで実質「剣樹抄 第1巻」であるところ。そう、この一冊で物語は完結しないのです。知らなければ最後のシーンで「え、これで終わり?」となってしまうのだ。若干ネタバレだが放火の動機も背後に見える信綱公の影もはっきりしないまま終わる。続刊は「剣樹抄 不動智の章」として発売中で連載もまだ続いています。

 ちなみに同著者の作品「光圀伝」のスピンオフでもある本作だが、「光圀伝」未読であっても全く問題は無い。「剣樹抄」を読んで本作の光圀が気になるようであればぜひ「光圀伝」も手に取ってほしい。

おまけ

物語を理解するために作った各登場人物や事件など史実と作中描写をまとめたメモです。「剣樹抄 不動智の章」まで含む内容です。


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