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このご時世にアートは必要なのか

ある日、アーティストの悲痛な声を伝えるニュースが放送されていたときに父が言った

「アートなんて不要な仕事につくからいけないんだよ」

私は将来アート業界で生きていきたい旨を父に伝えているので、その発言が父から私へのあてつけなのか、それともただの本心かは分からない

その場では聞き流したが、それに返せる言葉を自分は持ち合わせているだろうか、と考えるようになった

なので、このブログを書きながら思考を整理していこうと思う


読者に向けてまず断っておくと、私がメインで考えるのは美術です

音楽も大好きですが、あまり深く考えるほどのめり込んでないので…

ちなみにKing Gnuのライブが中止になり非常に落ち込んでいた筆者です

…はぁ、つら…

まぁこの話は置いておいて本題に移ります

(ブログの内容は全て私の個人的な意見です)


以前の記事で私はアートに救われたというようなことを書いた


これは私の気分が沈んでいたときに、美術館という非日常空間にいき、作品を通して著者と視野を共有することでリフレッシュできたからだ

またこの体験が実生活にも良い影響を与えてくれた

このようにアートを通して違う視点からみてみることで自分の世界が変わる、これが私の考えるアートの価値だ


他にも今のときだからこそ気付いたアートの魅力がある

それは、曖昧なものを曖昧なままいられること

コロナに惑わされる世界で聞こえてくるのは、情報の真偽、為政者の判断、行為の善し悪しというものばかり

もちろん重要なことだと思う

ただこの辺のことで曖昧な情報、情報整理の曖昧さは不安という感情とうらあわせになっている

なのでナーバスになりすぎないようにするためには、しっかりと自分の考えをもつ必要がある

だが、こればかり考えていてはもう参ってしまう

そこで私はまたアートに救われた

アート、特にファインアート、純粋芸術と呼ばれるジャンルでは、創作は自己表現のために行われる

そのため、その人の作品をみてどう思うかなんて十人十色で自由も自由だ

あたかも“1024”という数字を見たときにキリがいい数だと感じる人もいれば、キリの悪い数だと感じる人もいるのと同じようなものだろう

感性に善し悪しなんてないと私は思っている

(秩序のために設けられたルールを破る場合には必ずしもその限りではない)

人の豊かな感性を私に思い出させてくれたのはアートだ

芸術鑑賞に真偽なんてものはない、自分自身が何かを感じ取れればいい

…なんてことを最近よく考えている


では最後に、私がアートが必要だと思う理由をまとめようと思う

アートが必要な理由、それは

アートを通して自己発見ができ、世界が広がるから


もちろん必ずしもアートがなくても生きていける人はいるだろう

だが、アートに救われ、アートに生きたいと願っている自分はどうもアートなしでは生きる活力がわかなくなるらしい

みなさんはアートにどのような価値があると考えるだろうか?

コメントに残してくれたら嬉しいです!

それでは!

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