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おそらくこれが沼だということなのだろう

地元に、創業100年くらいの文房具屋さんがあります。
昔はどんな建物だったかは記憶にないのですが、駅前の再開発が進み、30年ほど前から商業ビルの一角に入っています。

都下にある街なもので、もちろん、銀座の伊東屋のような広さや品揃えはありません。
ただ、街の文房具屋さんとしてはなかなかの規模感かなと思います。
2フロア分あってフロアも割と広く、1階は一般的な文房具、2階は万年筆や少し高めのノート、各種画材、紙類、グリーティングカードや雑貨もあります。

子どもの頃のお小遣いや高校の時のバイト代は、かなりここで“落としました”。

全10色の蛍光ペンを、少しずつ買って、結局全色買ってしまったり。
ステッドラーの鉛筆を6Bから9Hまで買い揃えたり。
トンボの色鉛筆「色辞典」を全色買い集めたり。
ノートやスケッチブック、クロッキー帳。
油絵の具一式。
アクリル絵の具やメディウム。
いろいろな太さの絵筆。

中学生の時に、誕生日プレゼントとしてPILOTの万年筆を親に買ってもらったのも、このお店でした。

社会人になってからは、愛用しているボールペンの替えインクや万年筆のカートリッジインクを買いに行くくらいとなり、やがてそれもネット購入に変わり、その文房具屋さんへほとんど足を運ばなくなりました。

色鉛筆は、塗り絵が大好きな姪っ子にあげてしまいました。
鉛筆は……どうしたっけな……ある時に断捨離してしまったかもしれず、すでに家に存在していません。
絵の具類は、押し入れにしまったまま。


去年の秋頃、「来年の手帳、どうしようかな」と思い、手帳やノートに関して調べる機会がありました。

Twitterやnoteなどで見ているうちに、文房具についての情報にも多く触れ、文房具もいろいろと進化していることを知ったのです。
「フリクションのラインマーカーなんてあるんだ!」
とか、そんなレベルです。
それくらい、文房具から遠ざかっていました。

そして、自分でもわからない気持ちが、なにやらむくむくと膨らんできたのです。


先日、久しぶりに、この文房具屋さんへ行ってきました。
店内をひととおり舐めるように見てきました。


危ない。

これは危ない。

これはとても危ない。

2階は少し変わったものも売っていて、いわば「魔窟」のような場所だと思いました。
見れば見るほど、欲しいものがあちらこちらに。

表紙もページも質の良いノート。
書き味のとても良さそうな高級なペン。
など、など、など、など、など、など。

ネットで検索をしながら画像で見るのとは、訳が違うのだと実感しました。
際限なく買っていいのなら、買ってしまいそう……!
この日は、グッとこらえて何も買わずに出てきました。


……一度、落ち着こう。


かつて、理由もなく好きなものがあったはずです。
歳を重ねて、いつの間にかそれがどこかへ行ってしまいました。

でも、思い出しました。

そして、少し、自分が怖くなりました。
これは足を突っ込んではいけないかもしれないと。
おそらく、これが「沼」だということなのだろうと、気づきました。
今は、まだ、沼のほとりにたたずんでいます。


思えば、かれこれ続いているコロナ禍で、少し遠出をし、今まで見たことのなかった風景を目にして心動かされる……なんて機会もなくなって久しいです。
音楽でも、舞台でも、何でもいい。心震える感じが、圧倒的に足りていないんだなぁ。

先日、ゆらゆら帝国の「空洞です」がラジオから流れてきて、心を持って行かれました。
少し前に、テレビでRBGのドキュメンタリー映画を観て、ただただ「かっこいい!」と感心してしまいました。
昨晩、ダフトパンクが解散と知り、懐かしさと共に過去の曲を聴きつつ、続くリズムにしばらく身体を委ねていました。
今日の午後は、NHKで「麒麟がくる」の総集編を放送していて、最初から終わりまでの4時間半ありましたが、あっという間でした。

文房具然り、これらの気持ちに説明はつかないけれど、説明をつけなくてよいのだと思いました。
どこかの清涼飲料のキャッチコピーではないですが、好きに理由はない、理由なんてなくていいのだと思います。


こういう気持ちを、説明がつかないままのことを、大切にしたいですし、そういう気持ちになる機会をもっと増やした方がいいのだとあらためて感じました。

これ以上、仕事で感情を使って疲弊したくない。
仕事以外で、もっと前向きな意味で感情を使っていきたい。
そんな時間を、もっと大切にしていきたいです。

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