子供が親に絶望するとき
こんにちは! 本日は短いコラムです。
子どもが家庭で話をしなくなるのはなぜなのでしょうか。
私が「言語化」について書いたnoteに関して、こんな反応をいただきました。
思えば自分が子供の頃、親にあまり話をしなくなったきっかけの一つはとてもしょうもない質問で、
「なんでラムちゃん*は空を飛べるの?」だった。 *「うる星やつら」
母の答えは「そんなんマンガやからに決まってるやろ。そんなんばっかり読んでるからあかんねん」だった。
別にマンガだってことは私だってわかっている。そうじゃなくて、一緒に話がしたかったのだ。でも真っ向否定(人格否定のおまけつき)されたことで、「ああ母は私の話は聞いてくれないのだなあ」と思い、結局その後思春期に学校で色々あっても何も言わなかった。進路も就職も結婚も勝手に決めて事後報告のみした。今でも用がなければ連絡も取らない。
そんなトラウマはともかく、こういう日々の会話から言語能力というのは育てられるんじゃないかと思うのである。
子供の心の中ではこんな変化が起きているのか、見事に言語化されたnoteです。
それが、決定的に親子の関係を悪くしてしまう。
コレも同じですよね……。
恐ろしいですが、まりかさんが親を見限ったのも小学校低学年。
子供が親を見限るのって、親が思ってるよりも早い時期な気がします。
こちらはサポートしてる側からの意見です。
私も現場で同じことを感じてますが、直接指摘してるながつかさんは、偉いと思います。
子どもの信頼を取り戻すためには
最初のお母さんに戻ると、「そんなんばっかり読んでるからあかんねん」が余計な一言だったのかなと。しかし親の側からしてみたら、心当たりある方、ムッチャ多いと思います。
私もつい言ってしまいますね。「そんな下らんものばかり」「しょうもないゲームばかり見てないで」「変なもの見るのやめたら」など。評価やジャッジメントをつい入れてしまう。
やっぱり小学校低学年くらいで子どもに「お母さん、名探偵コナンだって結構残酷なシーンがあるでしょ。子どもってグロかったり戦いだったり、気持ち悪かったりが好きなものなんだよ。全部制限されたら信頼されてないと思って悲しくなるよ」と指摘され、それ以来は気をつけています(でもまだやってるけど)。
人間、親子とはいえ、他人の大事にしているものをジャッジしちゃいけないのかもしれません。
では、そうやってきてしまった家庭は、どうするか。
素直に子どもに謝ってやり直すのが良い気がします。
元「小学1年生」編集長の渡辺朗典さん(本コラムを読んでくださってる!)が「わが子を福山雅治だと思え」と提案されてます。
こういう会話を親子の間でするわけです。
「福山くんは、女の人を好きになったらどうなるの?」
「大切に思って、してあげたいことが増えていくんですよね」
「うん、それいいと思う。それ、書いて」
そう言われて、とりあえずそれを書き留める福山さん。
「その次はどうなるの?」
「やっぱり、自分のことをわかってほしくなります」
「わかってほしくなって、どうなるの?」
「わかってほしくなったら…。自分の好きな場所とか気に入っているところとかに連れていきます」
「それもいいと思う。それも書いて」
コレを会話にも応用することで、会話が広がっていく。
なかなか意表をつかれましたが、その通りだと思いました。
子供を自由にすると子供は親を批判するようになる
ところで、子供がいろいろ家庭で自由に発言しだすと、ときには平気で親を批判するようになります。
なんと、あの漫画の神様、手塚治虫さんもお子さんから批判されてたようです。ご本人からのツイートが。
Twitterってすごい。我が家は家族でファンなので、感激しました(私中学の頃ファンクラブに入ってましたし、家族で宝塚の記念館にも行った)。
すいません嬉しすぎて話がずれた。
私? もちろん、たくさん批判されてます。「ママは考えが浅い」と。
まだまだです。たまに怒っちゃいますしね。
「ママはたまに怒ってしまうけど、寝たらいい生物」だそうです。
精進します。それではまた。良い1日を。
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