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#58 ​「幸福のパラドックス」について考えた

こんにちは。

マレーシアにきた日本人が「発展途上国なのに、人の顔が明るいなぁ」と驚くことがあります。

発展途上国にボランティアに行った人が、「貧しいのに、逆に幸せな生き方を教えられた」などと言っているのを見かけることもあります。私も以前、支援していたNPOでタイ東北部の貧しい村に行って幸せとは?と考えてしまいました。

これはどういうことなんだろう?って長年不思議でした。

一人当たりのGDPと、幸福は関係ないのだろうか。

内閣府経済社会総合研究所の調査に、興味深いことが書いてあります。

戦後、一人当たりGDPが数倍に高まったのに、国民の幸福感が高まらないのはなぜか。このような問いが国内外の一部の経済学者の間で関心を集めている。この現象は日本だけでなく、米国、英国でも観察されている。経済学では経済合理的な選択によって最も効用(=自分にとって幸福感を高めるもの)の高いものと貨幣を交換するため、消費の額が大きければ効用も高まるはずなのに、そうなっていないことが問題とされている

http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis182/e_dis182.pdf

どうもGDPが高まりすぎると、幸福度が下がるのは、日本だけではなく、米国や英国でも同じようです。

データでも、GDPの上昇と幸福度はある程度以上になると、なぜか比例しないのです。
これは「幸福のパラドックス」と呼ばれるようです。

アジア成長研究所の2015年の調査では、日本では、1970年くらいから人々の「生活満足度」と「幸福度」が下がってるんですね。

そしてこう書いてありました。

■一カ国、一時点においては、人々の所得と幸福度との間には正の相関関係が見られる。
■しかし、多国間での比較や時系列で見た場合、国の所得水準と人々の平均的な幸福度との間に必ずしも相関関係があるとはいえない。
そして、

http://www.agi.or.jp/wp-content/uploads/2015/01/magi_20150114.pdf

主な理由としては、
(1)幸福度が絶対所得ではなく相対所得に影響されるため
(2)人々が自分たちが置かれている環境に適応するため
(3)所得以外の要因にも影響されるため、
などがある。

http://www.agi.or.jp/wp-content/uploads/2015/01/magi_20150114.pdf

と結論づけています。

要するに、所得への満足度は、周りの人との比較で決まってくるということかもしれません。周りがみんな貧乏ならあまり不幸を感じないのかも。1960年代は今よりGDPは低いけれど、そんなものだと思ってたらハッピーなんじゃないかな。

GDPが低い方が幸せだとは思いませんが、ある程度まで伸びてくると、幸福とは関係なくなってくるって興味深いです。

幸福の反対語は退屈だった?

では、所得以外のいったい何が幸せに結びつくかは、議論があると思います。

イギリス国家統計局は、「個人の幸福度と最も強い相関関係がみられるのは、健康、雇用状況、対人関係」としたそうです。マレーシアの新聞では、幸福には「良好な人間関係が重要」と書いてありました。

日本では、失業者は幸福度が低いことがわかっています。
とても興味深いなと思ったのは、退屈こそが「経済的豊かさを克服した後に人類が直面する最大の危機」ってところです。
こちらも内閣府経済社会総合研究所のレポートです。

例えば、バートランド・ラッセルは「幸福論」(1930)の中で、幸福の反対は不幸ではなく、退屈であるとしている。ケインズも、退屈は経済的豊かさを克服した後に人類が直面する最大の危機であるとしている。多くの識者が指摘するのは、幸福の反対概念は不幸ではなく、退屈や無力感であるということである。それを裏付けるように、今回オリジナルに行ったインターネット調査の結果でも伺えるのは、一人の人間の心の中に幸福と不幸が同居しうるということだ。

内閣府経済社会総合研究所 http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis182/e_dis182.pdf

「不幸=退屈」だとしたら、それは由々しき問題なのかもしれません。
坂口恭平さんが死にたくなった人の話を聞く「いのっちの電話」をされていて、こんなツイートを書いておられます。

アドラーは「貢献感が幸福である」と言ったそうです。
家族だろうが仕事だろうが、社会に必要とされるって重要だと思います。

息子が最近起業塾に行ったのですが、そこでは「ビジネスとは、社会の問題を解決すること」と教えられてました。先進国はビジネスが溢れていて、簡単に解決すべき課題が少なくなっているから、人が貢献感を発揮しにくい仕組みがあるのかもですね。

それから、便利になりすぎると、だんだん人間がいらなくなるんですね。
コンビニやスーパーなどシステムに組み込まれた店員さんと仲良くなるのは、少しハードルが高いんです。マニュアル的な接客になっていくので。

だから多分ですが、そこそこ人間関係があって、自分が貢献できる余地が社会にあったほうが、幸福感って上がるのかなーと思っています。

発展途上国って家族のつながりが強く、社会に改善する余地があるんですね。
それが人々の幸福度につながっている部分が、あるのかもしれません。

それでは!

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