「何者かになれない」ことで苦しむのはなぜか
主人公病の話をしてたら、こんなツイートをいただきました。
難しい問題です。
自分が何者なのか、というのは古今東西のテーマな気がします。
人はずっと「自分とは何か」を求めて苦しんできたんですよね。
この悩み、アメリカのドラマなんかにも出てきます。子育てが終わった親や、リストラされた大学教授なんかが悩んでます。
しかし、実はあんまりマレーシアでは聞かないです。
マレーシアで気づいたのは、「無職の人が堂々としてる」ってことでした。日がな一日カフェでのんびりしてる人とか、道端でテーブルゲームやってる華人とか普通にいます。
ジムにも無職で遊んでる20代後半の男子がいました。
誰も気にしてる様子がありません。
そもそも他人の職業を話題にすることがない。
無職・有職で上下関係がない感じ、なんですよ。
逆にいえば、私の中にも「無職の人は堂々とできない」という先入観があったんだと思う。当時は私も無職で、とっても楽になりました。
友達だけど、職業不明とかフツーです。というか、私の友人たち一部をのぞいて「何をしているかわからない」人ばかりです。「なんか仕事ない」と聞いてる人はいますが、他人の職業には、あんまり興味も関心もないんだと思います。
日本人社会が「肩書」を気にするわけ
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