親子の信頼が失われるとき

こんにちは。野本です。

今日は、子育てで悩む(これから悩むかもしれない)皆さんに送ります。
かなり、長文になります。

cakesで幡野さんが、直球で回答してる連載。
今回のは身につまされました。

不登校になった息子さんについての相談です。娘さんも、不登校です。
ちょっと長いですが、引用します。

親の都合で、小学生の時に子供達に転校させて、その転校先でイジメにあい、それでも社会の理不尽さを学校で学んで乗り越えて欲しい、などと大きくなったらきっと分かってくれるはず、とおもって励まし続けてきたことが、その娘の元高校のスクールカウンセラーさんに「まるで拷問を与え続けていた感じですよね。」と言われ、間違った育て方をしてしまっていたのか、と夜も眠れなくなり、何もかも悲観的になり、息子とは対話を増やさねば、とアレコレ私なりの工夫をしてきたのですが、彼の思春期、反抗期と相成ってまるでからぶり、挙げ句の果てにウザがられ、何を言っても暖簾に腕押し状態で、学校に相談しても、少し様子を見ましょう。となんかよくきく耳障りのいいような悪いような返答をされ途方に暮れ始めています。

これに対し、厳しい回答です。

学校に居場所がなくて、家庭にも居場所がなくなったら子どもがどうなるかわかりますか? 自己肯定感が低く、将来に対する希望すら見いだせなければ、自殺をするか、ただひたらすら自我を殺して生きるか、すべてを閉ざして引きこもりになるか、自分を理解して肯定してくれる不良グループに入るか、家出をして悪い大人につかまってしまうか。

そして、言うのです。
親子関係が破綻してしまっている、と。
やりたいことを自由にやらせろ、と。

私、今回のを読んで、ひとごとじゃないな、と。
うちも一歩間違えたらこれだったな、と少し怖くなったのです。

育児は答えがない世界

相談者さんを見ていて思ったこと。それは多分これまでも、「答え」を探して、本を読んで、必死で子育てしてきたんだろうな、ということです。引用します。

なにかしら、答えを見つけ出したくて、幡野さんの本2冊も読み褒めなかったことが、ダメだったのか!ともうなんかこれから、何をしたら良いのか、わからず毎日をやり過ごしています。

偏差値のある日本での子育てでは、「子供は良い学校に入るべき」「一流企業に入るべき」「子供は何かをすべき」という「正解」があるように錯覚されることがあります。自身がずっと親に押し付けられた一流学校で育ってきて、それ以外の生き方を「負け組」といって認めない人もいます。

で、相談者さんもまた、答えがある教育の被害者だったのかもな、と私には見えるのです。いつも育児のマニュアルを見て、「答えはこれだ」と思って、必死に子育てしてきたのかも、と。

しかし「答え」は多分どこにもない。目の前の子供に聞くしかない。子供以外の誰に聞いても、答えなんて出てくるはずがない、と。
幡野さんは、ここを厳しく指摘しています。

ただ、やっぱり私も人ごととは思えない。
うちでも子供が登校拒否があったから。学校を強要した時期があったから。

渦中にいる親には出口が見えてない

不登校がなぜ日本で大きな問題になるのか。

理由は2つ。

1つは、現実的な行き場が見つからないことです。

それは、日本では学校以外の選択肢が「ほとんど見えないから」。

マレーシアなら転校もアリだし、ホームスクールも当たり前。あちこちにホームスクールの看板が出てます。本当は日本にも、フリースクールやオルタナティブ・スクールがあるのですが、人によって「見えないものはないも同じ」なのです。

特に仕事してると、毎日いっぱいいっぱい。1日、子供が病欠しただけでも、大変。学校に行かなければ、誰かが家で見てないとならない。学童保育は放課後から。

「じゃあどうするの?」ってところで、思考がストップ。
「学校行ってくれないと(お母さんが)困る」となる。

学校ってシステムは、親にとっても都合がいい便利なシステム。
うちは現在もホームスクールですが、送り迎えとか、友達を繋ぐとか、物理的に負担は増えます。親に余裕がないと無理なのです。

良い親と認められたい欲

もう1つは、世間の評価です。
日本では、多くの親が、世間の評価を恐れてる。
私は、この親が一番重視したのが、それだったと思う。

「頑張れない子は悪い子」=「しつけがダメな親」
って烙印を押されるのが嫌なんです。
この方もそうなのですが、子供自身より、他の大人の意見が気になるのだと思う。

「うち不登校です」って言ったら、周りから不幸そうに見られちゃう。日本だと、不登校Youtuberのように叩かれる。ああはなりたくない、と。

これがマレーシアだと、「あらホームスクール? いい選択ね」と言われたりしますが、日本で「フリースクール、いいわね」って人はあんまりいない。それどころか「不登校なんて甘やかし」と叩かれる。

だから、子供から「学校に行きたくない」と言われると、「じゃどうしろって言うの」と二重の意味で、親はキレてしまう。

育児が母親だけに任されると、さらに視野が狭くなり、いっぱいいっぱい。
育児サイトとかで受験に熱くなってる他の親を見て焦っては、「後になれば、お前も親の厳しい愛情がわかるはずだ」と叱咤激励したくなる。これでうまく行く家庭もあると「ついうちも」と思いたくなる。

実はこれ、社会全体の問題なんじゃないのかな、と。

でもね、実際にこういう家庭に育ってきたという、当事者の言葉は重いです。

こうして、親子の信頼が失われると。
相談者の家庭も、おそらく、親のそうした態度を見て、子供が絶望したんだと思われます。
「この親に何言っても無駄だ」となったと。
幡野さんは厳しく指摘するわけです。

我が家のお話

我が家も1年生で登校拒否でした。

息子は当時、学校がなぜイヤなのかをうまく言語化できず(当時、言葉は大人のように達者だったのに)、人の影が怖いとか、背が急に伸びるとか、訳の分からないことを言うばかり。
要するに、学校が怖い、と。

毎朝、子供が狂ったように泣いて学校をイヤがっているのに、引きずって行ってました。毎日、門で先生に子供を引き渡すと、ほっとしたことを覚えています。

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