「恥」を教え込まれて身動きできない方へ
こんにちは。
みつばちまあやさんがnoteを引用してくれました。
やりたいことが見つからないのは、「恥」を教え込まれるから、という鋭い指摘です。
引用します。
「そんな成績で喜んでるようじゃ、まだまだね」
「もっと早くできないの?」
「○○ちゃんはきっと今ごろ頑張ってるはずよ」
おおお。
期待値がムッチャ高い親がいるのか。
それに答えちゃう子もいるのか。
愛する我が子が、外の広い世界で恥をかかなくてもいいように、「決してうぬぼれるな」と教え込むのが日本式教育なのだろう、と。
絵を褒めてほしい子供に対して「うまくもなんともないよ」と言っちゃったり、
100点を取ってきた子供に対して「そんなことで喜んでちゃダメ」と言ったり、
運動会で早く走れた子供に「フォームが悪い、もっと速く走れたはず!」と説教したり。
実はこれ、私にはない視点でした。
小さい頃に、「恥かくこと」への恐怖を植え付けられたら、そりゃ新しいことを始めるのはしんどいですよね。
家庭によって、同じものを見ても、見える世界が違うんだなぁ。
私は、割と放任気味の母子家庭で育ち、公立中学で成績が悪かったけど、親にも先生にも怒られた記憶がない。
授業はわからんけど、大丈夫だろうと根拠もなく思ってました(笑)。
最近息子から「おかーさんは、痛覚のないプロレスラーだ」って言われて気付いたのですが、どうも私はいろんなことを感じないらしい。無神経なんですね。
同じ日本に住んでても、同じもの見てるようでも、違う世界があるんだなぁ……、とつくづく感じました。
日本って、極端に厳しい家と緩い家(宗教的な規範もない)が同居してる。
これは日本のいいところでもあり、悪いところでもある。外国人が「サービスが素晴らしい」って喜んでくれるのもそうだし、失敗が必要な語学と日本人は相性が悪いです。
日本からマレーシアにきて、「サービスのレベルが低い」「先生の程度が低い」「ジムがダメ」「医師のレベルが……」と怒ってる人は「こうあるべき」が強いタイプなのかもしれませんね。
「恥」を捨てるにはどうしたらいいのか
で、みつばちまぁやさんはこう続けます。
よくスポーツの後に「いい汗かいたな!」っていうじゃないですか。
これと同じくらいナチュラルに、「いやぁ、今日もいい恥かいたなー!」って笑えるくらいじゃないと、好きなこととかやりたいこととか見つからないんだろうな、と思うんです。
自分のことかと思いました。
毎日恥をかきまくっています。
清少納言がみたら「恥知らず」って言いそうですね。
これからもかく予定です。
私の場合、語学学習を始め、もともと薄い恥の概念が壊れました。
語学学習って、この「恥」とどう折り合うかの連続だと思うのです。
「完璧」「早く」なんてとても無理なのに、恥ずかしい状態で、話さなきゃいけないですから。
しかし、「恥の概念が強い人が好きなことを見つけるには」の解決方法(別に捨てなくてもいいけど)は、みつばちまあやさんみたいに、実際に体験した人の方が説得力がありますね。
そうはいっても好きなものが見つからない、と言う場合、かなり荒療治ですけど、「〇歳で死ぬとしたら何をしておきたいか」を本気で考えるのも手だと思っています。
私の場合、母が早く亡くなりましたので、「私も母の享年までしか生きられない」と本気で思いながら毎日を生きています。
そうなると、実はあと5年弱しか生きられない計算です。
でも、人生って誰一人として無限じゃない。だからこそ、楽しまなきゃならない。と、本気で思えた時に、やりたいことが見つかるんじゃないかな~。
経験談ってやっぱりすごいなと思います。
マレーシアの学校でお母さんたちが「親が楽しまなきゃねー!」って言ってるのを見てきたけど、子供が嬉しいのは親が楽しそうにしてることだったりします。
いいなって思ったので共有しました。ぜひ読んでみてください。
ではまた!
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