長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンターでは、世界文化遺産『長…

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長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンターでは、世界文化遺産『長崎と天草地方潜伏のキリシタン関連遺産』の構成資産内にある教会への訪問事前申込の受付業務、各構成資産訪問に関する情報発信をおこなっております。 https://kyoukaigun.jp/

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長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンターについて

ご挨拶はじめまして、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンターです。 長崎県長崎市出島町にある当施設では、世界文化遺産『長崎と天草地方潜伏のキリシタン関連遺産』の構成資産内に点在するカトリック教会への訪問事前申込の受付業務のほか、 来訪者の方々に向け、各構成資産訪問に関する情報発信をおこなっております。 長崎県長崎市・佐世保市・平戸市・五島市・南島原市・新上五島町・小値賀町、そして熊本県天草市に分布する世界文化遺産『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連

    • 大浦天主堂|観覧ルート #22~26

      22.告解室(木製) 信者が自らの罪を司祭に告白し、神にゆるしを得るための場です。告解室、告解部屋などと呼ばれており、カトリック教会における秘跡の一つである「ゆるしの秘跡」のために設けられた部屋です。伝統的に聖堂の中に設けられています。 部屋は司祭と告白者で区切られ、また格子によって仕切られています。 複数の告解室を持つ教会もあります。 プティジャン神父の記録によると、天主堂創建当時、浦上をはじめとする潜伏キリシタンたちは、痛悔(ゆるしの秘跡)についての本を読み、暗唱でき

      • 大浦天主堂|観覧ルート #15~21

        大浦天主堂の観覧ルートをイラストと写真でご案内します。案内図の番号は、記事内の見出しの番号に対応しています。 これからご訪問の方は参考にしていただけますし、ご訪問を終えた方には追体験としてたのしんでいただければ嬉しく思います。 番号順に、記事をわけて公開してまいります。 15.大祭壇(主祭壇部) 聖書で語られる神の国は、透き通るクリスタル、色とりどりの宝石類で装飾された城壁に囲まれた都、それらが様々に光輝くイメージをもたらします。 多彩色のガラスで構成されたステンドグラ

        • 大浦天主堂|観覧ルート #8~14

          大浦天主堂の観覧ルートをイラストと写真でご案内します。案内図の番号は、記事内の見出しの番号に対応しています。 これからご訪問の方は参考にしていただけますし、ご訪問を終えた方には追体験としてたのしんでいただければ嬉しく思います。 番号順に、記事をわけて公開してまいります。 8.小バシリカ銘板 2016年4月26日、ローマ教皇庁により大浦天主堂は「小バジリカ(Basilica Minor)」の称号を与えられました。 「バシリカ」とは、建築形式を表す他、教皇によって特別な役割

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        • 大浦天主堂 Oura Cathedral
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          大浦天主堂|観覧ルート #1~7

          大浦天主堂の観覧ルートをイラストと写真でご案内します。案内図の番号は、記事内の見出しの番号に対応しています。 これからご訪問の方は参考にしていただけますし、ご訪問を終えた方には追体験としてたのしんでいただければ嬉しく思います。 番号順に、記事をわけて公開してまいります。 1.信徒発見記念碑 1865年3月17日に、大浦天主堂において、プティジャン神父と浦上の潜伏キリシタンたちとが出会った場面が表現されたレリーフです。1965年の信徒発見100周年記念祭の折に製作・設置さ

          写真|外海地区の風景

           こんにちは。長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンターです。  構成資産「外海の大野集落」「外海の出津集落」は、長崎市の北西部に位置する西彼杵半島にあります。長崎市中心部からは車でおおよそ1時間ほどを要する場所です。  先日、この地区を訪ねたときに、海岸に下りて写真を撮ってきました。外海地区から西の五島列島の方面に広がる海域は角力灘と呼ばれます。  この写真で右奥に位置する一番大きな島は池島という炭鉱の島です。写真の左側に写る小島は母子島と、母子

          コラム|各時代における布教印刷事業 キリシタン版とプティジャン版

          フランシスコ・ザビエルによるキリスト教伝来後の日本では、時代ごとに布教書の出版活動が行われました。 今日では禁教による活動停止以前の出版物を「キリシタン版」、再布教時代にパリ外国宣教会によって再開された出版物を「プティジャン版」といい、ともに現在も各分野における貴重な文献資料として用いられています。 初期布教時代における印刷事業は、イエズス会の司祭たちによる教育事業の一環として行われたことと東アジアにおいて西洋印刷技術が用いられた最初の例であったという特徴を持っています。

          コラム|各時代における布教印刷事業 キリシタン版とプティジャン版

          お知らせ|BSフジ「日本遺産物語」*終了

          こんにちは。長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンターです。 BSフジ「日本遺産物語」で『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産編』が放送されました。 動画配信サービスTVerの見逃し配信で2024年4月24日(日)まで視聴が可能です。 各構成資産について、現地取材を通して構成されております。 ▽TVer該当リンク ▽BSフジ「日本遺産物語」:長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産編 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」へのご訪問、ご興味

          Column|History of Oura Cathedral

          The Oura Cathedral is a Catholic church that was constructed by French priests from the Paris Foreign Missions Society in 1864. It stands as the second Catholic church to be built in modern Japan, a period that followed the prohibition of

          コラム|大浦天主堂の歴史

          大浦天主堂は、パリ外国宣教会のフランス人司祭らによって1864年に創建されたカトリック教会です。 日本の全てのカトリック教会が破壊された禁教令の時代以降、近代における教会建築は、横浜天主堂が先例となりました。横浜天主堂は1906年に旧居留地(山下町)から山手町に移転し、建替えられたため、大浦天主堂は現存する国内最古の教会建築です。 1879年に増改築がおこなわれ、内部、外観ともにゴシック調に統一された現在の姿になりました。1933年に国宝に指定され、1953年には国宝の再指

          教会訪問におけるマナーについて

          こんにちは。 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンターです。 長崎県内には130を超えるカトリック教会が存在します。 2018年の『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』世界文化遺産登録後は、県内に点在するカトリック教会への訪問者が増加しています。 県内にあるカトリック教会のほとんどは、信徒の方々の日常ともいえる信仰の場所として営まれています。 教会堂では「主日のミサ」と呼ばれる毎日曜日の礼拝の他、告別式や結婚式などの行事がおこなわれます。 観