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長崎のキリシタン史

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「長崎と天草地方潜伏キリシタン関連遺産」を中心に、長崎におけるキリシタン史をご紹介します。
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記事一覧

コラム|枯松神社

こんにちは。長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンターです。  長崎市の北西部の西彼杵半島というエリアには、構成資産「外海の大野集落」「外海の出津集落」があります。この外海地区は、古くからキリスト教(カトリック)が伝わった場所の一つとして、周辺にはいくつかの伝承地が存在しています。  今日は、その中からサンジワン枯松神社を紹介します。 外海地区の主要なキリシタン伝承地というと、外国人宣教師サン・ジワン神父を祀る「枯松神社」、日本人伝導士バスチャンが

コラム|創建時大浦天主堂とフューレ神父

この復元図は、古写真やスケッチ、わずかな記録から作成した、創建時の大浦天主堂(日本二十六聖殉教者聖堂:L’Eglise des Vingt-six Martyrs Japonais)です。 創建時の大浦天主堂の床面積は、現存する聖堂に比べ、半分ほどでした。 基本設計者はフューレ神父とプティジャン神父で、設計を元に建設を請け負ったのは、日本人棟梁・大工たちでした。その経緯は「大浦天主堂の歴史」で触れたとおりです。 塔頂に十字架が立てられた大小3基の塔が聳え、尖塔アーチ形と呼ばれ

コラム|各時代における布教印刷事業 キリシタン版とプティジャン版

フランシスコ・ザビエルによるキリスト教伝来後の日本では、時代ごとに布教書の出版活動が行われました。 今日では禁教による活動停止以前の出版物を「キリシタン版」、再布教時代にパリ外国宣教会によって再開された出版物を「プティジャン版」といい、ともに現在も各分野における貴重な文献資料として用いられています。 初期布教時代における印刷事業は、イエズス会の司祭たちによる教育事業の一環として行われたことと東アジアにおいて西洋印刷技術が用いられた最初の例であったという特徴を持っています。

Column|History of Oura Cathedral

The Oura Cathedral is a Catholic church that was constructed by French priests from the Paris Foreign Missions Society in 1864. It stands as the second Catholic church to be built in modern Japan, a period that followed the prohibition of

コラム|大浦天主堂の歴史

大浦天主堂は、パリ外国宣教会のフランス人司祭らによって1864年に創建されたカトリック教会です。 日本の全てのカトリック教会が破壊された禁教令の時代以降、近代における教会建築は、横浜天主堂が先例となりました。横浜天主堂は1906年に旧居留地(山下町)から山手町に移転し、建替えられたため、大浦天主堂は現存する国内最古の教会建築です。 1879年に増改築がおこなわれ、内部、外観ともにゴシック調に統一された現在の姿になりました。1933年に国宝に指定され、1953年には国宝の再指