コラム|枯松神社
こんにちは。長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンターです。
長崎市の北西部の西彼杵半島というエリアには、構成資産「外海の大野集落」「外海の出津集落」があります。この外海地区は、古くからキリスト教(カトリック)が伝わった場所の一つとして、周辺にはいくつかの伝承地が存在しています。
今日は、その中からサンジワン枯松神社を紹介します。
外海地区の主要なキリシタン伝承地というと、外国人宣教師サン・ジワン神父を祀る「枯松神社」、日本人伝導士バスチャンが隠れ住んだとされる「バスチャン屋敷跡」、そして幕府の探索を逃れ、潜伏しながら布教活動を行った日本人司祭トマス・デ・サン・アウグスチノ金鍔次兵衛神父の潜伏地「次兵衛岩」の三つがあげられます。
これら伝説や伝承の残る場所は、後年になって周辺の整備が行われ、巡礼地、参詣地として、現代までに多くの人が訪れています。
今回ここに紹介する「枯松神社」は、かくれキリシタンの伝承地です。「バスチャン屋敷跡」「次兵衛岩」は宗教指導者が潜んだ場所であり、「枯松神社」は宗教指導者を祀る場所というふうに分けられます。管理や保全については、場所ごとに違っています。
枯松神社に祀られているのはサン・ジワンという、禁教期に潜伏し布教活動を行ったとされる外国人宣教師です。他にも、この土地の殉教者を祀っているともいわれます。「神社」の名称がつけられているものの、社格もなく、鳥居も設置されていません。
先にこの土地に石祠が立てられ、1938年に木造の拝殿が建立されています(注2)。枯松神社は、主に地域のかくれキリシタン信者や禁教期にかくれキリシタンの保護をした、曹洞宗天福寺(長崎市樫山町)の檀家たちによって守られてきたといいます。
枯松神社では2000年を初回として、カトリック教会、かくれキリシタン、仏教徒の三者合同慰霊祭が行われていましたが、関係者の高齢化などの影響によって、現在はかくれキリシタンのみでの催行となっているそうです。(長崎新聞 2022.11.04 [かくれ信徒、オラショ奉納 長崎・下黒崎で枯松神社祭 ジワン神父や「潜伏キリシタン」慰霊])
サン・ジワン神父は、天福寺の檀家にとって「先祖の一人」とみなしている発言が過去の調査で採取されており、ローマ・カトリック教会の教義に先祖信仰が存在しないことを考えると、カトリックの司祭及び殉教者たちを「先祖」としてごく自然に受けとめていることに興味を覚えます。
筆者は過去10年ほどの間で枯松神社には何度か足を運んでいますが、ここは巡礼や参詣に訪れる場所であり、先祖を祀る場所という認識は持っていませんでした。(なお、「枯松神社祭」の開催定義においては、サン・ジワン神父と先祖は混同されていないことがうかがえます)
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枯松神社は長崎市中心部からは車でおおよそ1時間ほどの場所にあり、駐車可能なスペース(外海総合公園)もあるので、訪問もしやすいと思います。
出津教会、大野教会と合わせ、訪問してみてください。
カトリック大野教会及びカトリック出津教会をご訪問の際には、訪問事前登録へのご協力をお願いしています。
▽教会訪問事前連絡はこちらから
▽大野教会堂(外海の大野集落)
▽出津教会堂(外海の出津集落)
このページを訪れてくださった皆様が、歴史や史跡、地域の環境や保全などについて、さまざまな興味や感想をもってくれることを願います。