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JR東日本の構内放送と地方ベテラン教員の呟きから考える日本の教育事情

首都圏エリア、特に都内にも定期的に足を伸ばす方だともしかしたら私と同じ気持ちになるかもしれません。

中学受験の過熱ぶりは、様々な記事で目に見かけます。今年2024入試も受験した子どもの数は減少したものの、受験率自体は上昇していたという記事もあったように思います。

日本国内での教育の二極化は気になってしまいます。

さて、私の活動圏内はもちろんJR東日本の圏内なのですが、本日の構内放送を聞いていて、当たり前のようになりつつも、その当たり前のようになりつつある現状に対する違和感も持ち合わせたくなる(持ち合わせていなければいけない?)ようなものがあったので、今日はそれを少し取り上げたいと思います。

時期は3月の末ですので、定期券の購入などで窓口も混雑する時節柄ですが、その定期券についての放送でした。

正確な内容について一字一句は再現することはできないのですが、趣旨は以下のような感じです。

・通学定期券を購入する場合はモバイルSuicaが便利です
中学生、高校生はもちろん大学生もぜひご利用ください

的な。

直感的に、私が違和感を覚えたのは以下の2点についてです。

①そもそも中学生がモバイルSuicaを利用できる環境にあるのか
年齢の認証の問題などもあるかもしれませんが、いわゆるスマートフォン所持の問題。少なからぬご家庭が中学生にスマートフォンを持たせている現状はなくはないと思うのですが、もちろん、取り扱い方、費用負担の面、その他諸々を含めて実態はどれくらいなのかは気になりました。もちろん私自身は決して裕福ではないご家庭の子どもたちも多数見てきていますし、ご家庭の状況以外でもスマートフォンをもたせるorもたせないの選択を適宜判断しているご家庭もありますよね。

②通学定期が必要な中学生はどれくらいいるのか
基本的には、中学生は地元の公立校に進学するため電車による通学は必要ないはずです。もちろん、様々な事情があって公立でも電車で1駅乗ってとか、バスにちょっと乗ってという場合もあるでしょう。しかし、首都圏エリアだと中学受験も過熱しています。自宅から私立学校へ公共交通機関を利用して通学する層が一定数いらっしゃるのも事実です。これが当たり前のような状況で構内放送されているのは、やはり首都圏エリア特有のことなのだろうなぁ‥と感じてしまいました。

冒頭でも述べましたが、首都圏エリアの中学受験は過熱していると感じます。日本国内の教育環境(教育資源?)の二極化も気になってしまいます。

かつて、自分の同僚が言っていたことに

地方に住んでいるというだけで、触れられる情報の格差なんかも考えると、偏差値にしたら5くらい差があると思うよ。

元同僚の言葉

というものがありました。
この発言はコロナ禍の前のものであり、最近は様々な催し物がオンラインでも開催されるようになって研修会などの情報のアクセスのしやすさは多少改善されているとは思います。
しかし、全ての催し物がそうなっているわけでもなく、やはり首都圏エリアで「ちょっと電車に乗って出張に行ってくるね」という学校と、「大事な出張だから飛行機に乗ってホテルに前泊して参加してくるね」という地方の学校ではやはり差が出てきてしまうと感じます。

そんな地方の学校ですが、先日、あるベテランの先生が気になることを言っていました。

もう、ドラゴン桜とかビリギャル的なことは、地方の公立トップ校でも結構厳しい感じがある。特に新しい学習指導要領になってからは‥

地方のベテランの先生の言葉

もちろん、あくまでも私の知り合いのベテランの先生の発言であって、全体を代表するような意見や見解ではないことは念の為断っておきます。
ただ、あくまでもひとつの手応えとして感じていたものがポロッと漏れ出た、という感じです。

背景にはやはり、中高一貫校の6年を見越した教育カリキュラムがあるようです。教える内容というよりも、大学側が(思考力という名の下に)逸脱した内容を出題するようになると、その対策まではどうしても手が回らずに厳しい、という感じでした。

これは教科書会社主催の研修会に参加した時も、招聘されていたコメンテーターが述べていました。昨今の教科書は厚すぎる。大学側が逸脱して出題した内容を「発展」の項目として収録しすぎている。受験生がみんな対策する。結果、大学側は更に逸脱する、という負のループが出来ている。どこかで歯止めをかけないといけないと思う‥という趣旨でした。

もちろん、これもとある教科書会社の研修会であり、とあるコメンテーターの感想に過ぎません。ただ、今回の地方ベテラン教員の方の感じ方にも通じるところがあるのでご紹介させていただきました。

中学受験を批判する気はありません。勉強が好きで、知識欲もあり、もっと学びたい子や学ぶ環境を選びたい子はやったらいいと思います。一方で、それが主流になってもいけないようにも思います。結局、一言でいうと公教育の崩壊を危惧している、ということに尽きるのかもしれません。公教育が魅力的で、充実していて、別に私学を選ばなくてもいいのではないかと考える層が大半であれば、先の構内放送ももしかしたらなかったかもしれませんし、地方だろうがどこだろうが、ドラゴン桜とかビリギャル的なことも起こせる素地や空気感も維持されるのでしょう。

もちろん、地方の教育の全てを知っているわけでもありませんし、代表して何かを述べるとかをしたいわけではありません。一番危惧しているのは、首都圏に住んで、中学受験をして、私立学校に入れないといい教育が受けられない、みたいな教育の二極化が極端になってしまうことです。

結局は、国はもっと人間にお金をかけるようにしてくれないかなぁ‥で終わってしまうのかもしれません。

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