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『「幸せ」な学校のつくりかた』出版記念 苫野一徳×真下麻里子トークイベント

こんにちは。はにわ情報局です。
はにわ情報局では、会社で行われたイベントのレポートや、著者インタビューなど、SNSよりも長めの情報をお届けしています。

2021年2月、小社より『「幸せ」な学校のつくりかた――弁護士が考える、先生も子どもも「あなたは尊い」と感じ合える学校づくり』という書籍を出版しました。

出版記念イベントとして、著者である真下麻里子先生と、本書の中でも真下先生と対談をいただいている苫野一徳先生に、本書の内容についてや、「教員養成課程の在り方」「境界線の引き方」などを語り合っていただきました。

本日は、そのイベントの様子を要約してお届けします。

パネリスト

苫野先生が本を読んでみて

苫野先生(以下、苫野):この本は絶対に読むべきです。内容もさることながら、真下さんはなんでこんなに愛に溢れた本を書くことができるのかと、読みながら思っていました。法律家の方って、一般的にドライなイメージがあると思うのですが、この本は全編を通して、愛に満ちているんですよね。

真下先生(以下、真下):この本を書こうと思ったのは、学校で行ったいじめの予防授業がきっかけです。身近にあることを題材にしながら、「法とも絡めていじめを学べないか」というのが出発点で、どうしたら法律や尊厳や権利に「手触り」を持たせられるのかと考えていました。どうしても、法律って圧迫感というか、そんなイメージがあると思います。手触りがあって、大事にできて、自分で使っていける。そんな感覚を身につけてもらうのも法律家の役割なのではないかと思い、この本にもそんな思いを込めました。

苫野:今のお話を聞いて、法律家の方がなんでこんな本を書けるのか?だなんて、とても失礼な質問だったと気づきました。(笑)法律なんて、手触りのかたまりですよね。自分たちで勝ち取ってきたものですし。我々を縛るもの、自由を奪うもの、上から圧迫してくるものというイメージを持たれがちだけれど、それは逆で、戦い取って来たものであって、その意義はもうちょっと共有したいなと思いました。法の精神に立ち返ると、そりゃこの本のように愛の満ちたものになるよなと思います。

真下:私たち弁護士は実務家で、トラブルのなかに入っていきます。どうしても、極端な事柄に対して法律を使い、どう処理するかに行きやすいんですよね。でも、そのまま教育に持っていくと、齟齬が生じてしまう。法律を教育現場にも役立てられるように持っていくのも、法律家の責任かなと考えています。

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教員養成課程の在り方

真下:苫野先生は大学の教員養成課程でも教えられていますが、「教師の専門性」については教育学部でどのように学ぶのでしょうか?

苫野:「授業のプロとしての教師」にフォーカスされることが多いと思います。でも、本を読んで「あなたは尊いと感じ合える学校づくりのプロ」としての教師にフォーカスした教員養成にしなくてはいけないと思いました。私は哲学から説きおこすので、いつも、「自由と自由の相互承認の土台であるのが学校であり、教師はそのために存在している。市民社会の一番の土台を支えるのが教師であり、常にそこを敷いてから専門性はどういうことかというのを積み上げていく」と言っているのですが、そんな言い方をしても通じないときはこの、「あなたは尊いと感じ合える学校づくり」がもっとも大事な教師の専門性であり、本質だよなと思いました。

真下:よく、ニュースでも教師の働き方はブラックだなんて聞きますが、今、教員養成課程で学ばれている学生さんのモチベーションはどんな感じですか?

苫野:学生と話すと、教員の働き方に不安を抱き、ぐらついている学生は多いですね。最近「#教師のバトン」が炎上しましたが、いろいろな意見が出てきたのはよかったと思っています。問題があからさまになったら、あとは解決するだけだと意識を向かわせられますし。
でも、管理職や教育委員会や文科省に文句ばかり言っている人が多いのがとても気になります。あなた自身も私自身も、そのシステムを担っている一人なんですよと、とても言いたいですね。
当事者として自分たちにできることはたくさんあります。問題を明らかにしてみんなで話し合い、文句を言うのではなくて、フラットに話し合う。「あなたは尊いと感じあえる学校づくりのプロ」であるならば、そこが一番大事なのではないかと思っています。

真下:そうなんですよね。すごくむずかしいのは批判の取り扱い方と、問題解決の手段です。本を書くにあたって気をつけていたのは、「誰のことも責めない」ということです。でも、他方で私自身になんの痛みもないのかというと、そうではない。いろいろな観点から批判されることはありますし、批判をされて痛みがあると、どうしても批判を招かないように強めにこうすべきだと書きたくなってしまいます。
でも、批判を避けようというのと、法律に手触り感を生み出そう、というこの本での私の目的との関係で言うと、批判を招かないようにすることは不要ですよね。目的と手段との関係で必要のないことは削る。痛みを出すのはこの場ではないと、とても気をつけて書きました。

苫野:そうでよね。何を目的にするかが大事で、目的は幸せな学校をつくること。目的のためにどういう方法をそのときそのときで選択していくかだと思います。私も『「学校」をつくり直す』で、学校システムの転換を提言したのですが、誰かを責めるわけではなくて、システムが悪く、システムは人間がつくったものだから変えることができる、みんなで協力して変えていこうよ、と書きました。

真下:目的と手段の話に関連して、一つ私のエピソードをお伝えしようと思います。私が弁護士1年目のとき、はじめてのいじめ予防授業で、子どもたちに「とにかくいじめはだめだ!」と全面に出して伝えていたんです。それを見ていた弁護士の先輩に「真下さんは、作用反作用の法則を少し意識したほうがいいかもね、と言われたんです。『ダメだ』と言ってこちらが力を発揮すると、それに抵抗したくなる力が増えてくる。でもそれは、真下さんの伝えたいメッセージを伝えるという目的からは離れているんじゃない?」と。
そのときは、よく分からなかったんですよね。だって、ダメなことはダメと言わないといけないじゃないかと。子どもたちの反作用から逃げることは、批判を浴びたくないから逃げていることになると思っていました。でもそれは違っていて、私が自分の意見を聞いてほしいのに聞いてもらえていないと感じているから強く言っているだけなんですよ。私自身が尊重されていないと思ってしまっているから、強く伝えてしまっているというか。

苫野:強く言ってしまうときって、自分に自信がないとか、余裕がないときだったりしますよね。私たち、常に教育を通して成熟度が試されていると思うんです。ついつい、声を荒げてしまったときは、自分が未熟であったと反省しないとだめですよね。
先ほど話に出した、『「学校」をつくり直す』にも書いたのですが、自分がすごく好きだなと思う学校現場と出会ったとき、共通して感じることがあって、基本的に先生が大きな声を出すことがないんですよね。先生方は、意識的にしないんです。クラス全体に話しかけるときも、静かなんですよね。大きな声を出すということは威圧感を与えてしまうので、子どもたちが安心できません。静かに語りかけると、子どもたちは耳をすませて聞こうとする。
でも、威圧的、統率的になってしまうのは、先生に問題があるのではなく、システムに問題があると捉えようといつも言っています。今は、ある程度まとめてしまわないと成り立たない仕組みになっているから、そうせざるを得ないんですよね。そうではなく、みんなが幸せになれる学校を、どう仕組みとしてつくっていくかが大事です。

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問題を紐解く際の境界線の引き方

真下:今の話で、先生側の問題なのか、学校側の問題なのかという問いがありましたが、それって境界線の話だなと。学校現場って境界線が引きにくいことが多くて、私の問題なのかあなたの問題なのか、学校の問題なのか家庭の問題なのか、生徒の問題なのか、担任の問題なのかなど、曖昧に語られることが多いなと感じるんです。私が線引きをしたほうがいいなと思っているのは、人格の問題か、スキルの問題か、ですね。その境界線の引き方は、意識することが大事だと思っています。そのあたり、苫野先生のご意見をお聞きしたいです。

苫野:人格とスキルの線引きですか……。叱られたときに、行動を叱られているのに人格を否定されたと思ってしまうことってありますよね。それこそ、境界線を引くのがむずかしいなと。また、叱るときは絶対に存在や人格は否定しない、批判しているのは行動だけだってよく言いますよね。自分を省みるときも「自分は本当にだめだ」って、全否定に結びつけるのではなくて、「こんなことしてしまった。でも、そんな自分もいる。ここはスキルでカバーできる」みたいな考え方って大事だなと思います。
そのために、やっぱりこの本にたどりつくのですが、「あなたは尊い」って言われて育たなかったら、自分の人格をすぐに否定してしまうと思うんです。「あなたは尊い」という学校づくりがされていけば、「未熟なところは誰にでもあるし、何か失敗したら反省して、自分で捉え直して次につなげていけばいい」と思えると思うんです。「あなたは尊い」と思って学校で育てば、自分をそこまで否定することにはつながらないと思います。

最後に、先生方から一言

苫野:専門家ってありがたいというか、頼れますよね。一人で抱え込むんじゃなくて、この世の中には頼れる専門家がたくさんいるって、知るだけでも救われるんじゃないかと感じました。この本をお読みいただいて、「あなたは尊い」と感じ合える学校づくり、ひいては、幸せな学校づくりとは何かについて、保護者も一緒に語っていただけたら嬉しいなと思っています。

真下:この本に答えが載っているわけではないと、最初にお伝えしておきたいです。こういう制度にすればこういう学校になる、とかは書いていません。この本には、私の主観が書いてあります。「いや、私はそうは思わない」という自由を残しておきたかった、というのが前提としてあります。考えを提示されると、自分はどう思うのか考えやすいかなと思ったんです。自分との対話をするために、この本を使ってもらえたら嬉しいなと思います。答えは自分で出してもらいたいですし、出せると思います。現時点、この本に書いてある私の答えは、私自身、確定的な答えを出しているわけではないですし、これからどんどん変わって行くと思っています。

真下先生、苫野先生、ありがとうございました!書籍は以下からご購入いただけます。愛に満ちている本書、ぜひお手にとっていただけると嬉しいです。


★このZoom講演の内容を、小社公式YouTubeチャンネルでもご覧いただけます。ぜひご視聴ください!


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