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【嬉しいけれど喜べない】ていねいに書く雑文➄20220602

【嬉しいけれど喜べない】
noteには思いついたことを思いついたまま書きたい。だからこれから何度も何度も同じようなことを書くだろう。わたしの引き出しは少ない。

noteを始めて数日。とってもありがたいことに感想をいただくことがあった。「読ませる文章ですね」「面白い」と。とても嬉しい。でもガッツポーズは出ない。
ライターである私にとって、文章を褒められることはこの上ない喜びのはず。こういうときこそ涙を流して喜びたいのに。

今回は「なぜガッツポーズが出ないか」を考えたい。

わたしはライターを始めて5年目。ときどき文章そのものや、文章で生計を立てられていることをほめられたり、すごいと言われたりする。
嬉しい。泣きたい。泣けないけど。

ほめられて嬉しいけれど「よっしゃぁぁぁ!」とならないのは、感情表現に乏しいわたしの生来の性質は抜きにしても、きっと「努力した」とか「狙ってやった」という気持ちがないからだろうと思う。

特にnoteにおいては「読ませる文章」を書こうとして書いているのではないし、何年もかけてようやく文章一本で生活できるようになったことについても「すごいこと」とか「努力した結果」と思っていない。これは本当に謙遜ではない。

なんなら自身が運営している「有益だと思って発信をしているブログ」よりも「チラシの裏のひまつぶし」を目指して書いているnoteの方が反響があるのは微妙に納得がいかないくらいだ。

こういうところでも「自分には、そういう有益なことを言うとかって求められていないのね」と勝手にへこむ。素直にnoteが読まれていることを喜んどきゃいいのに。

でも考えてみればたしかにそうだ。正直なところライターとしてのわたしの上位互換も、ブロガーとしての上位互換も無限にいる。むしろ「いいセンいくんじゃねぇか?」と思っていたのが世間知らずでおこがましい。でもそこまで言うと、これまでブログを読んでくれた人やほめてくれた人に申し訳ない。

noteを書く人を何と呼ぶのかは知らないけれど、わたしより面白いnoteを書く人は無限にいるだろう。でもそれについてはへこまないし悔しくない。
なぜなら、わたしのnoteの目指すところはチラシの裏。チラシの裏は書籍化も映画化も舞台化もされない。もちろんスポットライトも当たらない。

でもその代わり、これこそは自分にしか書けないものだとも言えるだろう。わたしが思っていることを、他の人は文章にできないわけだから。

わたしにしか書けないnoteがほめられるのは、もしかしたら「わたしという人間そのもの」がほめられているのかもしれない。よし、そう思うことにしよう。よっしゃー。

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