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僕のブログを消して下さい!

今だから話せる話をします。もう10年以上も前のことです。
そのころ、私はWebメディアの会社に勤務していました。ブログブームのさなか、私の会社も一般ユーザー向けに無料ブログサービスを提供しており、何人かのタレントの公式ブログもありました。ここでお話しするのは、あるタレントが「やらかした」事件の顛末です。

公式ブロガーからの電話

ある日、一人の男性から私の会社に電話がかかってきました。名前は仮にMさんとしておきます。彼は私が担当していたブログサイトの公式ブロガーでした。ブログサイトは、PV(ページビュー、Webページが見られた回数)を増やすためのてっとり早い手段として、著名人の公式ブロガーを確保しています。Mさんはミュージシャンで一定数のファンがおり、ブログサイトに「お客を連れてきてくれる」ありがたい存在でした。しかし、公式ブロガーがブログの運営会社に電話してくることなどまずありません。脅迫コメントでもあったのかと思ったら、もっと困ったことでした。 

「7月1日から放送されるA社さんのCMの音楽を僕が作らせてもらったんです。CMにはアイドルのBさんが出演していて、話題になると思ったので、そのことを6月20日の自分のブログで書きました。そうしたら、今日(6月24日)それを見た代理店さんから、それは7月1日までオープンにしてはならないと叱られまして。それで、急いでその記事を削除したんですが、僕かBさんの名前で検索するとグーグルの検索結果には出てくるんですよ。だったら、ブログごと削除すれば消えるんじゃないかと。もしこれがA社さんに見つかったら、Bさんにも代理店さんにも迷惑がかかります。なので、ブログを削除してほしいんです」 

検索結果の画面に残る「見られてはまずいこと」

受話器を持ったまま、言われた通りにグーグル検索すると本当でした。検索画面には、Mさんのブログタイトルと3行ほどの参照文が出ています。そこには、7月1日から放送されるA社さんのCM曲を作ったので聞いてね!という現時点で秘密であるはずの情報と、アイドルBさんの名前もありました。記事そのものは削除されているのでクリックしてもNot Foundですが、グーグルはページを削除してもしばらく参照文を表示してしまうのです。

私は上司の許可を得て、Mさんのブログを丸ごと削除しました。もちろんキャッシュも。その後で検索してみたら、まだ参照文は出ています。当り前です。実体がなくなっても検索結果は数日残ります。ですが、無理だということをMさんに納得してもらうために、言う通りにしてあげたわけです。今日からの「数日」がMさんにとっては生きた心地のしない時間なのは分かりますが、これ以上私にできることはありません。そう話すと、Mさんは「分かりました。検索から消えるのを待つしかないですね」と、とりあえず納得したようでした。

音楽制作会社から必死の懇願

ですが、まだ話は終わりません。その日、帰宅しようかという時間に、今度は音楽制作会社から電話が入りました。この会社は広告代理店からA社のCM曲の発注を受け、Mさんに依頼した会社でした。電話の主の男性は、Mさんの数十倍深刻な口調で、「すぐに問題の参照文を検索結果から消してくれ!消さないと契約違反で大変なことになる。何とかしてください!」と、まるで殺人鬼を前に命乞いするかのような必死さでまくしたてられました。

気持ちは分かります。おそらくこの会社は代理店と守秘契約を交わしており、代理店もまたA社と守秘契約を交わしているはずです。Mさんがうっかり犯した「契約違反」は、A社から見れば代理店の契約違反です。音楽会社の男性は、もはや自分たちが代理店からペナルティを課せられるのは仕方ないとして、代理店がA社に叱られるのは何としても避けたいでしょう。

情報リリースのタイミングは株価にも影響

A社は誰でも知っている上場企業です。情報リリースのタイミングは株価にも影響するので、細心の注意を払っているはずです。たかがCMと馬鹿にできません。実際、他社ですが新CMの情報が漏れ、放送が延期になり損害賠償をめぐる訴訟になった例もあります。今回の件も、下手をすれば代理店はA社と取引停止、音楽会社やMさんは信用を失い音楽業界で食べていけなくなるかもしれません。私が言うのも何ですが、「あとは待つしかないですね」で引っ込んでしまったMさんの現状認識は全然甘いのです。
幸い、A社はまだ気づいていません。ならば、何とかこのままやり過ごしたい。そのためには、とにかく検索結果から問題のブログの参照文に消えてもらわなければ。

万策尽きて、最後の手段

すでに夜でしたが、音楽会社の男性の必死さに負け、私は検索に詳しそうな技術者で知っている人に片っ端から電話して「参照文をすぐに検索結果から消す方法」がないか尋ねてまわりました。しかし、分かってはいましたが、そんな秘策はありません。音楽会社に電話してそのことを告げました。

「そうですか。じゃあ明日、朝イチでグーグルの本社に行きます。行って土下座でも何でもして、検索から消してもらうように直接お願いします」

出た。芸能業界得意の「土下座」。私は、そんなことをしても絶対に無理だと分かってはいましたが、言いませんでした。対策として頭に浮かぶことはすべてやらないと、彼らなりに筋が通らないのです。

後日譚(その後のMさん)

私とMさんと音楽会社のやりとりは、それで終わりです。彼らがグーグル(当時は渋谷のセルリアンタワーにありました)に行ったのかどうかは知りません。が、一ヵ月ほどして、Mさんが私の会社にひょっこり顔を出し、「その節はありがとうございました」とお礼を言われました。私は何も役に立てなかったので恐縮しましたが、こういった仁義礼節は芸能界では大切なこと、ありがたくお礼の言葉を頂戴しました。

ブログの件はA社にバレなかったのか、それともA社に正直に打ち明けたのか、Mさんは言葉を濁しましたが、とりあえず問題にはならなかったようです。しかし、世の中はSEOだの何だのと自社サイトが「検索される」ために大勢の人々が血道を上げているのに、「検索から消す」ことにジタバタしたというのも皮肉な話です。しかも、放っておいても数日で消える検索結果を一分一秒でも早く消そうとするなんて、関係ない人にはまったく意味の分からない所業でしょう。

Mさんは代理店や音楽会社からこっぴどく叱られたでしょうが、今、ホームページを見ると元気に音楽活動をしているようです。多少でも関係を持った人間としては、とりあえず嬉しい限り。さすがに懲りたようで、ブログはその後も再開していないようでした。

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