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「比較社会漂流記」~始まりのあいさつ~

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チラシデザイン:カズマキカク

2019年1月26日に、京都で開催されたシンポジウム「比較社会漂流記~比べられたくない、でも比べないと不安~」の文字起こしを編集し、ダイジェスト記事としてこれからお届けします。
このシンポジウムは、NPO法人京都自死・自殺相談センターSottoが、比較して・されて生きることの苦しさや、そこから生じる死にたい気持ちについて考えを深めることを目的として開催しました。

Sottoについて:京都自死・自殺相談センターSottoについて
マガジン:シンポジウム「比較社会漂流記」ダイジェスト記事集

~登壇者プロフィール~

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小林エリコ
(NPO法人コンボ職員・作家)
1977年生まれ。茨城県出身。短大を卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職。その後、精神障害者手帳を取得。現在も精神科に通院しながら、NPO法人で事務員として働く。ミニコミ「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。自殺未遂の体験から再生までを振り返った著書「この地獄を生きるのだ」(イースト・プレス)が大きな反響を呼ぶ。エッセイ「わたしはなにも悪くない」(晶文社スクラップブック)にて連載(現在は終了)。


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松本俊彦
(精神科医)
1993年佐賀医科大学医学部卒業後、国立横浜病院精神科、神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。日本アルコール・アディクション医学会理事、日本精神科救急学会理事、日本青年期精神療法学会理事。主著として、「自分を傷つけず にはいられない~自傷から回復するためのヒント」(講談社、2015)、「もしも「死にたい」と言われたらー自殺リスクの評価と対応」(中外医学社、2015)など。


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竹本了悟
(NPO法人京都自死・自殺相談センターSotto代表 )
広島生まれ。浄土真宗本願寺派西照寺住職。防衛大学校卒業後、海上自衛隊に入隊するが僧侶となるため退官。龍谷大学大学院で真宗学を学ぶ。浄土真宗本願寺派総合研究所研究員を経て、現在、TERAEnergy 株式会社 代表取締役。2010年に京都自死・自殺相談センター Sottoを10名の仲間と設立、代表を務めている。


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野呂靖(コーディネーター)
(龍谷大学文学部准教授)
1979年生まれ。花園大学非常勤講師、浄土真宗本願寺派総合研究所研究員などを経て現職。博士(文学)。専門は仏教学。2010年、有志とともにNPO法人京都自死・自殺相談センターを立ち上げる。自死関係の論文に「自死対策における宗教者の役割」(『ケアとしての宗教』共著、明石書店)など。

野呂: よろしくお願いいたします。龍谷大学の野呂と申します。コーディネーターということで、実は、3時間半のコーディネートをするのは生まれて初めてでちょっとびびっております。

 まずは今回のテーマが、お手元のチラシにもございますように比較社会漂流記と。比べられたくない、でも比べないと不安だよ。これがテーマですね。私もまさにそうなんですけども、自分と他人をどうしても比べてしまって、俺のほうがましだなとか、あるいは逆に、ちょっとだめだなって落ち込んでしまったりとか。

 どうしても人と比べていくということは、生きる中では避けられないのかなという気もします。簡単に言うと人の目を、人の評価を気にしながら生きていくだと思うんですけども、それによってつらさを抱えてしまう、そういう面も多いのかなというふうに思っています。

 本日は、その、人と比べるということ、人の目を気にするということ、あるいは人の評価をどのように私たちは受け止めて生きればいいのか、そのようなところをじっくりと考えていきたいというふうに思っています。

 まずは本日3名の登壇者の方に、なぜ私たちは比べてしまうのかとか、何で比べるとつらくなっちゃうのかとかそこら辺を、ご自身の体験も踏まえて順番にお聞きしたいと思っています。では、小林さんからよろしいでしょうか。よろしくお願いします。

小林: よろしくお願いいたします。小林エリコと申します。NPO法人のコンボで働きながら作家としても活動しておりまして、おととしに『この地獄を生きるのだ』という本を発売いたしました。今日はよろしくお願いいたします。で、なぜ比較をするのか。

 やっぱり自分が、今幸せかどうか自分の位置がどこら辺なのかっていうのを確かめるために、やっぱり比較するっていうのが一番簡単であるっていうところですかね。

野呂: 比較をすると、位置がわかるとちょっと安心するというところが。

小林: 落ち込みますね(笑)。

野呂: 落ち込みます?(笑)。逆に落ち込む(笑)。

小林: やっぱり他人のほうが幸せな人生を送ってるっていうふうに常に思ってしまいますね(笑)。

野呂: なるほど(笑)。じゃあお次は松本さん、いかがでしょうか。

松本: 人間って、本当に比較で結構傷つくなっていうふうに自分は思っています。

 で、自殺の統計でいうと、歴史上一番自殺が少なかったの第2次世界大戦中なんですね。貧困だからみんな自殺が多くなるっていうわけではないんです。みんなが貧困で、みんながつらいときには案外起きない。

 それからあと、私自身、大地震の被災地での自殺について調べてて気づいたことなですけれども、被災してから最初の1、2年は、むしろ被災地の自殺は減るんですよね。何か地域全体が、連帯感が高まってくるっていう。

 しかし、3、4年たった頃から自殺が少し増えたりとかするんだけど、亡くなってる方を見ると、被災する以前からメンタルヘルスの問題とか経済的な問題を抱えてる方たちが多い。つまり、みんながつらいときには連帯感が増して耐えられるんだけれども、3、4年たってくると、復旧や復興にやっぱり差が出てくるんですよね。もともとしんどかった人は、そこであんまりうまくリカバリーできないところがあって、この格差の中で孤独感とか孤立感とかって出てくる。

 で、それ見たときには、われわれがやっぱり人との比較とか、あるいは前の自分との比較で深く傷つくんだななんて思って、だから今日のこのテーマはすごく大事で、でも誰も逃れられないテーマだと思って、興味深く楽しみにしてます。

野呂: ありがとうございます。では竹本さん。

竹本: はい。今、松本さんのお話を聞いてて、東北Sottoっていう、われわれSottoと同じ姿勢で活動してくれてる仲間が東北にいるんですけれども、彼らが仮設住宅訪問っていって、震災以降1軒ずつ仮設住宅を回るということをされてるんですが、だんだん当時よりも、震災直後よりも今のほうが苦しみが深くなってるというか、強烈になってきてるという話をよく聞きます。

 あそこに残される人たちっていうのは、どんどん周りの人たちが出ていって生活再建をしていって、いわゆる通常、以前の生活に戻っておられると。でも、それに対して自分たちが全然何もできてないというか、自分だけがちょっと足踏みしてるような状態にあると。そこに本当に大きな苦しみを感じているのを目の当たりにして、いろいろその話を聞かせてもらいます。

 今日は自死ということと比較社会のことでお話をするので、そういった顕著な、社会的にも注目しやすい状況が被災地の場合はあると思うんですけれども、実はこれって被災地だけの話じゃなくって、われわれの普段の生活の中にも同じようなことってたくさんあるんじゃないかなと、そんなことを思ってますので、今日はそういったところも一緒にお話しできたらうれしいなと思ってます。

野呂: ありがとうございます。日常では、人と比較して傷ついてる人はいっぱいいるんですけども、そこは普段あまり顕在化されない、まさに松本さんがおっしゃってたように、徐々にそれが顕在化していく場面があったり、あるいは取り残されていく、といったことがある地点で露わになっていくということがあるかなと思います。

 特に最近は、その取り残されている、あるいは自分が他者とは違うということが、かなり明確に見えてくるツールというのがありまして。TwitterなどのSNSなんかで何か発信をする、自分の意見を言う。そうするといろんな意見が出てくるわけですよね。

 それは批判もあったり、いろんな反応があるわけですが、このSNSというものが、かなり便利な面がありつつも、逆に私たちを苦しめている面があるかと思うんです。その点について3名の方は、何かやりますか、SNSは。

「比較社会漂流記」~炎上経験者は語る~ へつづく)
マガジン:シンポジウム「比較社会漂流記」ダイジェスト記事集

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