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ナマケモノ日記 第13回~社会に溺れかけたナマ子の中学時代~前編

私たちは、NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
HP: http://www.kyoto-jsc.jp/

このナマケモノ日記では、Sottoの事務局勤務経験者で、Sotto随一の怠け者と定評のあるナマ子さんが、その独自の目線から見たSottoのことや生きづらさなどをテーマに、ゆるすぎる文体と独自の感性で綴ってもらいます。
Sottoの活動に興味を持っていただいている方もそうでない方も、物珍しいものを見るように、気軽に覗いていってくださいませ。

前回はコチラ→  ナマケモノ日記 第12回~スローでクイックなナマ子~
第1回はコチラ→ ナマケモノ日記 第1回~はじめまして、ナマ子です~

ナマケモノ日記 第13回~社会に溺れかけたナマ子の中学時代~前編

ステイホーム・ナマ子

 最近、世の中の動きに押され、引きこもり度が一段と増しているナマ子です~。
大好きな映画・音楽鑑賞やゲーム、ぬいぐるみ遊びなどで、なるべくリラックスすることを心がけてステイホーム生活を送ってまーす。
一日5時間ぶっ通しでゲームをやっちゃう日も。。
しかし、さすがのナマ子でも運動不足を感じ、、ここ最近は夜に近所の公園までお散歩するのもルーティンになりつつあります(ナマ子には昼間は明るすぎるので、あくまでも夜ね!)。

音楽がナマ子の人生の彩り

 以前(第8回)にも書いた通り、ナマ子は音楽を聴くのが大好きなのですが~、最近はもっぱらサブスクリプションサービスのSpotifyで音楽を聴いています。
今流行りの音楽だけではなく、懐かしい音楽もたくさん聴くことが出来るので最高ですね~。

しかしナマ子は集中して音楽を聴き始めるとね。。止まらなくなり。。。ふと気が付けば3時間ぐらい経っていたりします。。
ふと振り返ってみたら、ナマ子の人生には常に音楽がそばにいてナマ子を励ましてくれていたような気がします。
もし音楽がなかったら、どれだけ彩(いろ)のない人生になっていたかな。。
なんて思うぐらい、重要なポジションを占めているのは確かです(なんか、ちょっとカッコイイ??)。

とにかく苦しかったナマ子の中学時代

 さて、今回もこの流れでいくと第8回の続編として音楽の話を始めそうな勢いですが。。
そうではなくてね、中学生の頃にタイムリーでハマっていた音楽を聴いていたら、当時の記憶や感覚が蘇ってきちゃって。。
中学時代には、今思えば人生の大きな転機があったように思えるのです。

とにかく当時は息苦しさを感じていて、荒れ狂う海の真ん中で遭難してしまったような、そんな激動の時期でした。。
前々から、いつか当時のことを整理して文章にしたいなー、とは思っていて、今回がいい機会なのでは??という気がしたので(直感)、思い切ってナマ子の中学時代について書いてみようかと。。。
ナマ子の中学時代。。略してナマ中。。?(ビールじゃないよ!)

あっ、ちなみにナマ子はビールは氷を入れて飲むのが好きなのです!
(「味が薄まるじゃーん!!」とツッコまれそうですが。。。氷を入れて炭酸が少し弱くなるぐらいが好きなのです)
これは一般的にはマイナーな飲み方っぽくて、意外とビールに氷はアリだよ!と伝えたい。。(誰に?)

あぁぁっぁっあ、すぐ脱線するし、締切は既に1日過ぎてる。。(ぅぅぅ)
やっぱり、しんどかった時期のことを文章にして世に出す(大げさ?)のは結構体力のいる作業なんですよね。。
それだけ、今でも感情が大きく揺さぶられる部分だからかな。。
そんなわけで、珍しく??相当な気合いを入れて書き進めていきますので、皆さんよかったら最後まで読んでねー!

中学校という「社会」への反感

 今でも中学校の入学式の日は、雪が降っていてとても寒かったのを覚えています(4月に雪!)。
ナマ子ファミリーは小学校卒業と同時に引っ越しをしたので、中学校には友達どころか、知り合いも居ない状態でした。。
新しい環境に緊張しつつも、当時のナマ子はどこかワクワクする気持ちもあり、割と早くに友達も(少なかったけど)できました。

えっ?それなら何も問題なさそうでは?と思いますよねー。ところがね。。ゴールデンウイークが明けた辺りから、自分の中で何か得体の知れない塊がムクムクと育っては心につっかえ、コントロールが効かなくなるのです。。。。

 中学1年生のナマ子の中で大きくなっていったものは、中学校に上がったことで初めて「社会」を感じたことによるものでした。

なぜ、制服が必要なの?なぜ、私服ではダメなの?
なぜ、皆が同じであることを求められ、同じことをする必要があるの?
なぜ、皆はそんな学校が楽しいと言えるの?
なぜ、皆、この環境に抵抗なく過ごせるの?
なぜ、皆、普通に学校に通えるの?
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ・・・・・・・・?

中学校では特定の価値観を絶対的なものとして押し付けられ、心身ともに自由を奪われた感覚に襲われたのです。
中学校は小学校と比べてはるかに「社会に出るための訓練を積む場所」という色が強く、当時から人一倍抑圧されるのが嫌いだったナマ子には、とにかくルールに縛られたあの空間が耐えられませんでした。

 ほとんど無限に沸いてくる「なぜ」や「何かおかしい」に内心発狂しそうでも、友達は皆学校では楽しそうに過ごしていて、疑問を口に出すことも当時のナマ子にはできませんでした。。
日々、自分は周りと違うんだ、表面上は仲良くしても一緒にはなれないんだ、という事実を突きつけられているような感覚でした。

友達はいたし、客観的に見ても周りから浮いているような存在ではなかったのですが、それが逆に苦しくて苦しくて苦しくて。
周りから見たら普通に見えるけど、普通じゃない自分。。。
何だか嘘で塗り固めた自分でいるようで。。

成績主義への怒り

 さらに、中学生になると周りは成績を気にするようになり、成績が人を判断する基準のようになっていきます。
やはりナマ子はそのことに違和感を覚えてなりませんでした。
なぜ、テストの点数で人の価値が上がったり下がったりするの???
ナマ子にはそれが分かりませんでしたが、周りの友達はあまりそこに疑問を持っているように見えませんでした。

成績にまつわるもので、強烈に怒りを感じた出来事を今でもはっきり覚えています。
それは、ある日採点の終わったテスト用紙を返却された時のこと。
ナマ子の隣の席の男の子が、テストで悪い点を取った子のことをヒソヒソとバカにしたのです。
それが耳に入ったナマ子は我慢ができずに、その男の子にブチ切れてしまったのです。

実は隣の席の子は、普段はよくおしゃべりをする仲であり、彼からしたら一見?温厚キャラのナマ子が急に席を立ち上がってブチ切れたので、( ゚д゚)←こんな感じで呆気に取られていました。。。。。

そんな風にふるまったことのないナマ子が本気で怒ったことで、彼は事の重大さに気付いたのか、何も言い返してこず、ナマ子自身も自分の中で起きた感情の爆発に驚き、その場は何となく沈黙のうちに収まりました。
それ以来も、その男の子とは普通におしゃべりをしていたと記憶しているので、そのことがきっかけで気まずくなるなどはなかったのですが。。。

学校に行けなくなる

 そんなエピソードも、今にして思えば限界が近づいているサインだったのかもしれません。
友達がいても、話す相手がいても、当時のナマ子にとっては学校や教室は窮屈な箱でしかなく、そこに通い続けることははっきりと困難になっていきます。

そして、学校に何日か登校しては何日か休む、休んだら何日か行ってみる、というサイクルを繰り返すようになります。
自分が登校拒否児となっていくことが、当時のナマ子には怖くて怖くてたまりませんでした。

幸い、ナマ子ママやパパは、そんなナマ子を叱ることはせず理解しようとしてくれ、ナマ子の性格も踏まえては学校には行かない選択(山村留学や海外の知り合いの所に思い切って行くなど)を勧めてくれたのです。

でもね、当時のナマ子は、一度学校に行かない選択をしたら二度と社会に戻れないんじゃないかという恐怖を感じていたり(今思うと、そんなことないんだけどね。。)、手に負えなくて両親には捨てられたんじゃないかと勝手に思ったりと、とにかく混乱のさなかにいました。
不安から逃れるために「普通」になろうとして、学校に行ってみてはつらくなって休むことを繰り返していたのです。。。

当時のナマ子は、なぜ学校に行けないのか、何がつらいのかを大人にも友達にもうまく説明することができなくて。。。
学校に行けない日はひたすら部屋に引きこもり、自分の部屋という隔絶された宇宙でひたすら音楽を聴いていました。

当時はインターネットも今のように普及していなかったし、もしあの頃に音楽が支えとしてそばになかったら、ナマ子は今こうして生きていないかもしれない、そんなことも思います。。

と、長くなってきてしまったので、後編に続きます。。

ナマ子

後編に続く

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