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ナマケモノ日記 第4回~その時、ナマ子の歴史が動いた~

私たちは、NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
HP: http://www.kyoto-jsc.jp/

noteではシンポジウムの内容や活動について、関係者のインタビューなどを更新しているのですが、今回は打って変わり、Sottoの事務局勤務経験者で、Sotto随一の怠け者と定評のあるナマ子さんの月刊連載「ナマケモノ日記」をお届けします。

Sottoの内実のことや、ナマ子さん目線での生きづらさなどをテーマに、ゆるすぎる文体と独自の感性で綴ってもらいます。
Sottoの活動に興味を持っていただいている方もそうでない方も、物珍しいものを見る気持ちで、どうぞ覗いていってくださいませ。

前回はコチラ→ ナマケモノ日記 第3回~お昼寝が出来ないナマ子~
第1回はコチラ→ ナマケモノ日記 第1回~はじめまして、ナマ子です~

ナマケモノ日記 第4回~その時、ナマ子の歴史が動いた~

 2010年、それはナマ子の近代史を語るうえで、とても重要な年で。。。
今回のナマケモノ日記は、ナマ子が京都に来てSottoと出会うまでの過程も含め、人生の転機となった2010年から現在に至るまでのお話をしたいと思います。
あれっ?今回はテイストが違う!?
そうなんです。ナマケモノ日記も第4回ということで、マンネリ化を防ぐためにもちょっとここで変化を付けてみることにしたんです~。
慣れないかもしれませんが、ヌルっと読んでみてください~~~。

ナマ子年表

・2010年 4月
 神奈川で働いていたものの、この年4月半ばで仕事を辞めたナマ子。普通4月と言えば仕事を始める時期だろっ、そんなツッコミが聞こえてきそうですが、一般的な人生設計とは逆行した人生軸で生きていますので、そこは、まぁ。。
過去のナマケモノ日記でも触れた通り、転職の多い人生を歩んで来たナマ子ですが、当時は何と結構な働き者で(信じられないでしょ。。)、残業なんかもたくさんしちゃって消耗していました。
ナマ子にもハタラキモノだった過去があったんです。。。

仕事は定時に終え、プライベートや休日を優先させようとしている人はやる気のない悪人扱いをされてしまう、そんな世間の風潮に違和感を感じていたナマ子。
定時で帰ることを前提にして働くことは、そんなに悪いことなのだろうか。。?? 
しかしそんなことは当時堂々と言える雰囲気でなく。。。それどころか、そんな感覚を持ち合わせている自分は何か不誠実な人間なのではないかと、思ったり思わなかったり(どっちなんだ。。)。
どこか納得できないまま残業をし続けるうち、いつしか心が叫びを上げ、疲れ果てている自分に気づいたんです(ふぅ。。)。
そして仕事を辞めました。

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▲今回は長い記事なので猫の写真で箸休めを。ぐっすり寝てるニャ
(撮影:ナマ子)

・2010年 5月~8月
 晴れて無職となったナマ子は、次の仕事を探すわけでもなく、やりたいことを見つけるわけでもなく、ただただただ休むことに集中したくて、長期の一人旅に出ます。
無職・独身・婚姻歴無し・子供なし・恋人なし。
当時のナマ子は、世間の物差しで言うならば、負け組街道ぶっちぎりの独走状態。

生きづらさの五重奏が逆に心地良かった事を今でも覚えています。
この時期のナマ子はなんと、4ヶ月連続長期旅行をします(京都に3回、北海道に1回行きました)。
逃避行を繰り返す娘に、ナマ子ママ(前回より登場)が放った一言が、その後の私の人生を変えることに。。。

「そんなに何度も京都へ旅行しているのなら住めば?」

あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~~~ 
さすがナマ子ママ。まさに正論だよ~~~。

・2010年 9月
 天啓のように降ってきたナマ子ママの言葉に背中を押され、ナマ子はCMでおなじみの「そうだ、京都行こう」を、旅行でなく移住という形で実現してしまったのです。
この時点ではただ住まいを変えただけなので、現実的には課題は山積み。
人生そんなに甘くないね。。。と思いながら、新しい日々が始まる予感に静かに期待していました。

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▲野良猫の人生も甘くないニャ

・2011年〜2013年
 プライベートの時間を何より抱きしめたいと思ったナマ子は、職場への近さ、残業の少なさなどの条件で仕事を選んで働いていました。そして、休日は1人で人気の少ないお寺でまった〜〜〜り過ごす時間を、何よりも愛する生き物へと脱皮します。(何と今日は、その頃の事を思い出してお寺でこの文章を書いてます〜)平日のお寺、しかも京都~。。まったりライフラバーのナマ子には、京都のお寺はとても魅力的な場所です。

と、ここで問題が発生(問題だらけの人生。。)。即時的な条件のみで選んだ仕事をずっと続けることを想像すると、途方もない生きづらさを感じてしまい(相変わらず、めんどくさい性格~)、2013年春に転職をします。そして。。。。。。。。

・2014年 春
 転職をして1年を迎えた頃。。。仕事で膨大なストレスを抱え込んだナマ子は、顔のみ謎の湿疹、腫れ、かゆみに襲われます。
さらに人間関係の問題から、いつしか心には真っ黒な怒りのとぐろが発生。完治に2年近く費やしました。
転職歴の多いナマ子がそこまでストレスを蓄積しながらも、なぜ一年は働き続けたのか?そして回復した経緯を簡単に。。

良い大学を出て、有名な企業に就職して。。。そんな人生の大通り、とでも言いましょうか、一般的には王道のコースを歩くような生き方を好まず、常に細い路地裏を歩く生き方を選んできたナマ子。
大通りを歩くことは、ある程度安心して生きられることではありますが、ガチガチの交通規制に絡めとられて生きることでもあります。

それに比べれば、野良猫よろしく路地裏を行く人生は自由度があります。
そこでは世間の雰囲気に従うよりも、マイルールを確立することが重要で、時には袋小路に迷い込むリスクもあります。。
それでもリスク込みで好んで路地裏を歩き続けていたのですが、厄介なことに大通りに出てみたくなる時があるんですよね。。。

当時のナマ子は大通りの眩しさに目がくらみ(なんてこった)。。。
「ちゃんと」働いて、いわゆる「ちゃんとした大人」として生きようと、心の中で作った窮屈な箱に自らを押し込めていたのです。
う~ん、ナマ子らしくない。。。

職場の上司の言動など、ストレスを抱え込んだ要因は色々ありましたが、根本的な自分の中での間違いにたどり着いた時、誰かや何かを恨む気持ちもほぼ消滅し、本当の意味で回復することが出来たのです。
そして不思議なことに、回復して1ヶ月ほど経った頃、ナマ子はSottoと出会うのです。

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▲体の柔らかさをアピールしながら寝るニャ

・2016年 夏~ 2019年 現在
 心身共に回復したナマ子ですが、さすがに弱気になっており。。(やっぱり生き物なので~)実は故郷でもう一度やり直そうかと行動を始めたのです。が、何でしょう?運命?なのか、その話が事情により頓挫します。そこで、ナマ子は思った。京都が私を引き留めている~~!(変なところでプラス思考)

基本、人との交流をあまり好まない性格でしたが、知らない土地で生活をするにはコミュニティーにも参加してみないと。。そう考え、とある催しに参加します。
その名も。。「Death Cafe」。
実は子供の頃から「死」にまつわる恐怖を取り払いたい願望があり、そのことを含め「死」について話してみたいと思っていたのですが、なかなか日本ではタブーなテーマであることが多く、口に出せず生きてきました。。

だから、この催しを知った時は、私のためのイベントでしょ??!!(凄い自分勝手)なんて思っちゃいました。
そして、ここで運営をしていたSottoのメンバーと出会うのです~。そこからSottoの活動に興味を持ち、ボランティア研修を受け→ボランティアとなり→更に事務局員と、Sottoの内部へどんどん侵入。現在に至るのです。

ナマケモノ日記の著者「ナマ子」を少しでも人?として身近に感じてもらえれば。。
そんな思いで、今回は路地裏を歩き続けるような人生を年表風にまとめて書いてみました~。
いつもよりゆるさは控え目だったかも?長いし(;´∀`)
こんな回もたまにはどうでしょう。。?
約10年間を一気に振り返ったら、かなりハードで疲れちゃったので(頑張ったねナマ子)まだ21時前だけど寝ちゃおうかな。。。(ベッドの方を三度見

ナマ子

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