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京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第5回(毎日新聞論説委員 玉木達也)

私たちは、認定NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
HP: http://www.kyoto-jsc.jp
note: 改めまして。Sottoってどんな場所?

今年で京都自死・自殺相談センターSottoは設立10年目を迎えます。
10周年という節目にあたって、Sottoを様々な形で支えてくださってきた理事の方にリレー形式で、Sottoへの想いをコラムにしていただくという企画を今回からスタートします。
一口に理事と言っても、お一人お一人様々な背景を持ち他団体で活躍されている方も多いので、多様な視点からSottoという団体について改めて浮き彫りにしていただければと思います!

前回はコチラ→京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第4回

第5回(毎日新聞論説委員 玉木達也)

 「人に会って話を聞き記事にする」。新聞記者の仕事を簡単にまとめればこうなります。
この職業に就いて約30年。多くの人と会いました。
その中でも印象に残っているのが自死遺族の方々です。

 今年6月にインタビューしたのは赤木雅子さんです。夫の俊夫さんは財務省近畿財務局職員でした。
学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却を巡る財務省の決裁文書の改ざんを、幹部の指示で強制されたとみられています。
心身のバランスを崩して自ら命を絶ちました。改ざんの遠因として幹部による、安倍晋三首相への忖度が疑われています。 

 雅子さんから3時間ほど話を聞きました。その時に見せていただいたのが俊夫さんの携帯電話に残されているメールでした。
「疲れるほど悩んでる?悩んだらだめよ」
2018年3月7日夕に雅子さんが送ったものです。俊夫さんはこの日、自死されました。

 「夫はどんなに苦しかったのだろうか。そのことを考えない日はありません」。
雅子さんの言葉から2年数カ月の時の経過では消えることがない、悲しみの深さを痛感しました。

 「なぜ、大切な人を救うことができなかったのか」。
自分自身を責め、苦しみ続けている自死遺族の方は少なくありません。
十数年前に奈良県内で取材した女性もそうでした。女性の夫は上司から激しい叱責を受け続けました。
「仕事の負担によるうつ病」が一因で自殺に追い込まれたとされ、労災が認められました。

 女性は取材時にバッテリーが消耗し送信も受信もできなくなった、夫の携帯電話を持って来ました。
既に夫の自死から5年が経過。それでも女性は「夫の電話番号を残しておきたいんです」と打ち明け、基本料金を払い続けていました。

 会社の懇親会で大勢の同僚がいる中、上司から罵倒された夫。
その夜、「また、死にたくなったわ」と暗い声で電話をかけてきました。
女性が「上司は励ましているのよ」と慰めると、夫は「もう1回、考えてみるわ」と言って電話を切り、これが最後の会話となりました。
女性の手元には、夫が自分の気持ちを伝えようとした携帯電話だけが残りました。

 雅子さんと女性の共通点は、大切な遺品が携帯電話ということと、夫が「やさしい人だった」という思い出です。
自殺した日の朝、仕事に出かける雅子さんを俊夫さんは玄関で「ありがとう」と言って送り出しました。最後が感謝の言葉でした。
女性も「本当に、本当にやさしい人でした」と夫を振り返りました。
こんな人々が自ら命を絶つほど追い込まれる社会。おかしいし変えなくてはならないと強く思います。

 京都自死・自殺相談センターは設立当初から活動を取材しています。生き辛い思いや死にたいほどの悩みを抱える方の声に、「そっと」耳を傾ける。この取り組みが多くの人の心を癒やし、「いのち」を救っているに違いない。
自死遺族の方々の悲嘆に接するたびに、そう感じています。                 以上

次回はコチラ→京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第5回

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