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京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第6回(龍谷大学文学部准教授 野呂靖)

私たちは、認定NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
HP: http://www.kyoto-jsc.jp
note: 改めまして。Sottoってどんな場所?

今年で京都自死・自殺相談センターSottoは設立10年目を迎えます。
10周年という節目にあたって、Sottoを様々な形で支えてくださってきた理事の方にリレー形式で、Sottoへの想いをコラムにしていただくという企画を今回からスタートします。
一口に理事と言っても、お一人お一人様々な背景を持ち他団体で活躍されている方も多いので、多様な視点からSottoという団体について改めて浮き彫りにしていただければと思います!

前回はコチラ→京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第5回

第6回(龍谷大学文学部准教授 野呂靖)

 Sottoの活動が10周年を迎えました。
10年前、竹本さんなど設立メンバー10名で毎日のように小さな会議室に集まり、夜10時、11時、ときには日付をこえて議論をしたことを思い出します。団体名や理念をはじめ、どのような取り組みをしたいのか。どんな社会を理想とするのか、そんな大きなビジョンについても話し合いました。

 そこで得た結論は、あらゆる人の生と死に価値判断を持ち込むことなく、個人の苦しみをそのままうけとめていく居場所をつくること。高みから人を導いたり、解決を目指すのではなく、同じ苦悩を抱える存在として「そっと」そばにいる、そのような活動となること。みんなで一つひとつ、確認しあいました。

 子どもの頃から人とうまくコミュニケーションを取るのが苦手だった私は、中高生時代にはいじめられたり、孤立したり、死んで楽になりたい、これ以上つらい思いをしない場所にいきたいといつも思っていました。それは大人になって仕事するようになった今もあまり変わりません。ふだん、なにごともないような平気な顔を一生懸命取り繕い―それはとても疲れることでもありますが―、なんとか日々やり過ごしています。

 私はふだん弱音をできるだけ吐かないように、弱さをみせないように生きています。自分でも無理しているなと思います。しかしその無理もまたやめることができません。そうした「どうしようもなさ」とこれから先、どれほど付き合っていくのでしょうか。本当にげっそりという感じです。

 ただ、それでもなぜ今、なんとか生きていられるのか。それはその「どうしようもなさ」を肯定も否定もせずわかってくれる場所―Sottoのような―があるというのが大きいと感じています。「いざとなればSottoに電話しよう」、「たけちゃん(竹本さん)に相談しよう」と思えると、まあもう少しだけ頑張ろうかなと思います。

 生きること、死ぬことのどちらかを肯定したり否定するのではなく、どちらにも揺れる思いを抱えながら生きている個人の生と死そのもののそばに、そっとあること。これからの10年も、変わらずそうした場所であり続けてほしいと願っています。

次回はコチラ→京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第7回


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