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ココ、note始めました。

ずっとnoteを始めたいと思いながら…はや半年。やっと心を決めましたっ…!

1番はじめに、まずは改めてですが、ココとは、誰なのか?を私の過去から

しっかり表現していきたいと思います。お付き合いくだされば嬉しいです♡

とは言えこれも、いざ書き始めると長いお話になると思うので、いくつかに分けて投稿したいと思います。良かったら、末永く、お付き合いくださいませ^o^

ココとは ; 

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小さい時からの夢は歌手。
それもまたやっかいなことに、世界的な歌手が夢でした。マライヤキャリーとか、アブリルラビーンとか、セリーヌディオンみたいな、地球規模で大人気の、超有名歌手になりたくて…
オリンピックの開会式で歌いたい。たくさんの人に、とてつもない影響を与えるような歌手になりたい、と、幼心なり本気で。もう願い過ぎて精神が壊れそうになるほど、強烈な欲望でした。

たぶん中学・高校時代の私はこじらせていたので、「その道以外は、自分にとってはゴミ同然だ」と思っていました。
もし私が歌手になれないなら、私が生まれた意味も、生きている価値も、1ミリも無い、死んだ方がマシだ、と本気で思っていましたので、中学生ながら必死で
高校も大学も行きたくない。音楽だけがやりたい!と真剣に親や先生に訴えました。

とはいえ当時は今のような「多様な働き方」とか「好きを仕事に」とか、そんな価値観が通るものではなく、紆余曲折は割愛しますが、まぁ普通に進学しました。
私は音楽が好きで、それ以外に必要なものはなにもないのに、なぜ進学するのか?なぜ、今すぐ音楽だけを極めることができないのか?のような、謎にあふれる毎日。これも、今思えば青春の輝きです(?)
 
受験勉強には、まわりとの比較や競争があるので、常に時間との戦い。勉強以外にも、仕事、課外学習やクラブ活動や文化祭、合唱の練習、友達との付き合いなど、音楽以外のことで忙殺されます。気持ち的には、音楽以外はなにもしたくなくて、ずっと歌ってられたらどんなにいいんだろうと常に思っていたので、授業中も、働いていても、寝ても覚めても、彼氏とデートをしていても、いつもいつも四六時中、強く音楽を求めていました。(写真16歳)

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ノートや教科書には、オリジナルの歌詞や好きな歌の歌詞がびっしり。

本当は声に出して歌いたいんだけど、授業中にそれをやるわけにいかないフラストレーションを、殴り書きで晴らすわけです。チャイムの音が鳴ると、ついその音に鼻歌でメロディやハーモニーをのせてしまい、先生に注意されたり、友達にからかわれたり。

授業が終わった瞬間いてもたってもいられず、猛ダッシュで他学年の教室でピアノが上手い子や、ギターが弾ける子を回収して、音楽室に立てこもり、当時流行っていたピアノの弾き語りユニット・キロロや、ジュディマリなんかを歌っていました。歌えない時間が、もう苦しくて苦しくて…

当時の私に、勉強分野で熱心に関わっていただいた方々には、申し訳ないことこの上ありません…(今なら、人の応援をする方の気持ちが痛いほど分かります。)その節は、ありがとうございました笑。ほんとに感謝してます。

15歳。社会人バンドにvocal加入した時は、もう天にも登る気持ちでした。生のバンドサウンドって最高すぎる。スタジオも、ライブも、最高すぎる。とにかく私は、歌うためなら、なんだって頑張れるわ!と、背中に羽が生えたようにスタジオに通いました。

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中3の冬↑受験勉強の真っ只中。初めてのTBSのカラオケオーディションで準グランプリを受賞しました。

歌ったのは、ドリカムの「未来予想図Ⅱ」私の最大の夢、歌い手としての未来予想図を、胸いっぱいに広げながら歌いました。たくさんの人の前で歌うことが楽しかった。
続けて、高校1年の時と2年生の時に、ヤマハのティーンズボーカルフェスティバル(もとのポプコン)出場。こちらも関西代表・グランプリを2回連続で受賞しました。

当時、aikoさんがティーンズボーカルフェスティバルの司会を毎年勤めておられて、2回目のグランプリ受賞の表彰式の時に、前年度のことを覚えててくれていて、「えっ!また君〜!?」って驚きながら、生放送で、エンディングを一緒に歌いました。

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↑ティーンズボーカルフェスティバル時

当時の私は、あまりaikoの歌を知らず、ギリギリ「ボーイフレンド」は歌えたのですが、失礼なことに完全にうろ覚えで、かろうじて歌えた…かな?程度。練習しておけよって話で…aikoさんごめんなさい。今ならaikoさんの歌、2-3曲なら歌えますよ。

いくつかトロフィーをもらって嬉しかったけど、まわりがビックリしているほどの驚きは自分の中にはなく、まだまだ果てしなく長く続く階段を、ひとつひとつ大切に登っている感覚でした。

大学生になり、いよいよプロデビューの面接のために東京に行きました。21歳の冬です。
倉木麻衣さんのプロデューサーをやっていた方のご紹介で事務所が決まり、着々と打ち合わせを済ませて、メンバーみんなで頑張ろう!と夜行バスで京都に戻った、その日の朝に

自分が妊娠していることを知りました。全くもって予想していなかったことです∑(゚Д゚)

しかしながら、赤外線カメラに映る我が子の、なんと可愛いこと…♡この子のためなら、なんだってできる。バンドメンバーや、関わってくださっていた方々には死ぬほど申し訳ないけど、この子と幸せな家庭をつくる、と決めました。

というところで

☆☆次回に続く☆☆

この、「東京面接からの妊娠発覚」のくだりは、詳しく話すと結構なボリュームがありますので…次回の投稿でもう少し、ゆっくり書けたらと思います。

あなたの貴重なお時間を頂き、読んでくださり、ありがとうございます。引き続き、よろしくお願いします。

京都シティポップ・歌手ココ

京都シティポップHP


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