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2024年6月-第1部

はじまり

6月になりました。我々の現在地点は、進んでゆく方向性を手探りで模索し、足場となる基盤を自分たちで作り上げてゆくような試みの最中ですので、ゆっくりではあるけれども何かを掴もうとする現場の様子が今回の記事からも伝わってくるような内容になっているのではないかと思います。
お読みいただくとわかるように、我々は現代に流通している既存の学問体系をそのまま伸ばして行っても、その先に明るい将来は期待できないと感じています。少し専門的な言い方をすると、既存の学問体系が発展すれども所詮は形式論理の範疇を出るような研究はおそらく現れて来ないだろうと考えているのです。
そこで必要となるのが、発想の飛躍や思考の転回、それも大胆で抜本的なもの、になります。そのため、我々は闇雲に進もうとするよりもむしろ、源流へと遡ることを意識的に行なっています。現在の学問体系が形成されて来たそものもの歴史的過程であったり、どのような発想を経て、どのような思考の枠組み(パラダイム)を用いて来たのかであったり、温故知新と言いますか、そこから現在とは全く別な方向性を持つものを生み出そうとする試み。
この意味で、我々の学問は”反”学問体系と言えるかと思います(*ここでの”反”は四則和算の概念であることに注意)。
いきなり少し難しい話題で始まってしまいましたが、途中から入った方々にも我々が一体なにをやろうとしているのかを知っていただくため、何度も繰り返して皆さんと共有していきますので何卒お付き合いくださると嬉しいです。では、本題に入っていきましょう。


デカルト二元論への対峙(守屋)

今回私(守屋)は、前回行った議論をもう一度再び繰り返して話をした。前回はまだ思考が曖昧だったこと、そして次回は近代数学史について整理しておきたいことがあるので、ここで今後に深めていこうとしている哲学的議論を一担まとめておきたい。

私の念頭にあるのは、科学が言うところの"物"は色や匂いと言った感覚的性質を排して(その残像は【心の中】という虚構に生じる『表象』として語られる)対象化された物(死物と呼ぶ)であり、この科学に癒着している死物観は根本的におかしいのではないか?という直勘(インスピレーション)である。

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