京都にUターン(Jターン)移住したお話
はじめまして。
私は京都府南丹市に移住した2児の母です。
移住前は東京で暮らしていました。
生まれと育ちは京都です。
なので、『実家に戻ったの?』と言われることもありますが、実家は京都にあるものの、ベットタウン、郊外の街中なので車で一時間ほどの距離があります。
何故、実家近辺に戻らなかったのか。
理由は簡単。
私が自然が大好きだからです。
街中よりも自然豊かな地域で伸び伸び暮らしたい、子育ても自然の中でしたい。
それだけの理由です。
都会は苦手なので、東京暮らしは便利だったものの、人との付き合いが希薄すぎて疲れたのです。
ライトな付き合いがいい。
若いころはそう思っていました。
しかし、子どもを産んでからは、ライトな付き合いだと孤立奮闘になってしまうことが多くなり、コロナ化でそれはより一層強まり、京都に帰ることを決意したのでした。
京都の南丹市で暮らして思うことは、地域の温かい声かけが、子育て世代にどれだけ心強いか、ということです。
東京にいたころは、『子どもの声がうるさい』などの注意がされたり、『共用スペースは静かに移動してください』といった、息をひそめる生活が多く、未就学児を抱えながら苦悩の日々でした。
その苦悩が抜けず、南丹市に引っ越してきた時も「子どもがうるさくてすみません」という気持ちでいっぱいだったのですが、近所の方が「子どもらしくていい」「賑やかでいいよ」と前向きな声をかけてくれたとき、はじめて『子どもが子どもらしく過ごせる地域で生活できる』と肩に入っていた力がストン、と抜けたのです。
京都の人は本音を言わない、湾曲表現が得意だ、と言いますが生まれ育ちが京都の私からすれば、今ネットで回っている多くのものは誇大表現。
どちらかというと、「配慮」や「やさしい」からこそ、の表現だったりします。
うるさい、ときもあるはずです。
でもうるさい、と言われた子どもや母はどんな気持ちになるでしょうか。
そこに「やさしさ」があるから、「賑やか」の方をチョイスする。
つまり、京都の人は「前向き言葉」をチョイスする達人なのです。
ただ、どんな時も前向き言葉をチョイスするがゆえに、時と場合によって湾曲表現やオブラートと称されるだけ。
少なくとも、京都という土地で生まれ育った私にとっては、そんなもの生まれ持って把握済みの事実。
オブラートに包んでくれてありがとう、という気持ちを忘れずに、精進できる(「賑やかだね」に甘えない配慮)タイプなので、京都という土地はあっているのだと実感します。
やっぱり、耳から入る言葉はきれいな方がいい。
鼻や口から入る空気はきれいな方がいい。
目に見える景色はきれいな方がいい。
自然豊かな環境に囲まれて、やさしさあふれる地域の人に囲まれて、キレイになる日々を実感するなんたん生活。
京都の田舎、というにはちょっと便利な地域(電車と高速道路のインターが近い)だけど、そんな田舎初心者に最適な土地で、新しい暮らしのはじまり、はじまり、です。
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