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私の忘れられない先生

私には、忘れられない先生がいる。

小学校3~4年の時の担任だったU先生だ。U先生は、当時40代後半の男の先生。眼鏡をかけ、いつも穏やかな表情に、ゆるやかに前に出たお腹をゆすりながら歩かれる。ちょっと見た目が「カバ」に似ているから、クラスの男子からは密かに「カバ先生」なんて呼ばれていた。(私は似ているとは、思わなかったけど)

U先生は、とにかくユーモラス。
例えば給食にプリンが出たとき、食パンの上にプリンをのせて、ゆらゆら揺らしながら、「わー、落ちそうだけど、落ちないな。でも、おいしいわ」と言って食べたり。(私たちはハラハラして見ていたっけ)

雨の日には、児童の見守りのため、学校の前の横断歩道に、傘をさして立たれていた。でも傘の上には、なんと「横断中」と書かれた黄色い旗が。
傘の先端のとがった部分に、旗の持ち手(パイプ状)が差し込まれているのだ。私たちは集団登校していたのだが、この独特な「横断中」の旗が遠くから見えると、「あ、先生!」と、とても嬉しかったのだった。


こんな調子で授業も、とっても楽しかった。
国語の時間に、一行詩を書くというのがあった。字のごとく、一行だけの詩。「夜、猫の目はビー玉」とか。そこで、私は授業中うんうんうなって、

傘は、雨と友達

と、なんてことはない一行詩(これが詩と言えるかわからないけれど)を書いた。クラス全員が発表する中、私の番になって、これを言った。

・・・と、先生は大きく拍手をし、ニコニコ顔で
「う~ん、すばらしい!しびれるなあ~」と、絶賛してくれたのだ。

私は突然のことでポカンとしていたけど、後からじわじわと嬉しさがこみあげてきた。こんなことは初めてだったから。全くうまく書けたとも思えなかったし。でも、思ったこと、感じたことを自由に書いてもいいんだなあ・・とわかり、これをきっかけに文章を書くのが大好きになった。

それからは、日記を書いて先生に出したり、(赤ペンのコメントが楽しみだった!)先生のお宅に暑中お見舞いや年賀状を送ったり。
そのたびに、先生はきちんと返事を書いてくださった。

先月、帰省したとき部屋を片付けていたら、偶然にも先生からのはがきを発見!


先生の字は、いつも美しい

私が小学3年生の時に送った、暑中お見舞いの返事。先生は達筆で、見ているだけで背筋が伸びる。久しぶりに先生の字を見て、なつかしくて涙が出てきた。

今、振り返ると先生は、ユーモアと共に愛情を持って、一人一人に合った指導をされていたように思う。
当時の私は、そんなことも、つゆ知らず。
U先生のことが大好きで、休み時間にも、いつもたわいない話をし笑っていた。とにかく学校が楽しかった。毎日、先生とのことや、学校のことを両親に話すのもハッピーだった。

心豊かで、なんて幸せだったことだろう・・・・

成長の過程で、素晴らしい先生に出会えたこと。その時に、先生から教えていただいたことが、今も私の心の中で静かな光を放っていること。
一生の間で忘れられない先生と巡り合えたことは、偶然とはいえ、ありがたく感謝しかない。

残念ながら先生は、他界されて、もう久しい。
あの時、屈託なくケラケラ笑っていた女の子が、今、海外ルーツの生徒たちを教えていると知ったら、先生はどう思われるだろう?
「しっかりやりや~」と、私のお尻を叩いてくださるかな?それとも、「今、生徒はどう思っているんかな?生徒の身になって考えてな」と、笑みを浮かべつつ、ピリリと指摘してくださるだろうか?

あ~、先生に会いたいなあ・・・













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