佐々木 香輔

写真家、仏像・美術品・文化財の撮影、仙台生まれ、現在は奈良を拠点として活動しています

佐々木 香輔

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クスノキと仏像のはなし その3

 その1、その2と続いたクスノキと仏像のはなし。今回は仏像から少し離れてしまいますが…クスノキと信仰の名残について、奈良を舞台に話したいと思います。  車を運転していると、突如として現れる大きなクスノキ!ここがどこか、わかる人はかなりの奈良通です。  奈良市のとなり、大和郡山市にある大きなクスノキです。郡山城のすぐ西側にある、大織冠という地にこのクスノキはあります(地図下側の赤丸地点)。郡山城のすぐ西を通る県道9号線(奈良大和郡山斑鳩線)の道端です。大織冠と書いて「たいし

    • クスノキと仏像のはなし その2

      **飛鳥時代の木彫仏には、なぜクスノキが多く用いられたのか……前回に引き続きその関係性について話を進めていきます。 **  クスノキが馴染みのある木かどうかは、北国生まれと南国生まれではその印象がずいぶんと違うのではないでしょうか。  クスノキが生育できる北限は、栃木、茨城の北関東周辺とされています。クスノキは楠【木に南】と書くように、暖かい地域でしか生育することができません。私自身も宮城県仙台市出身のためクスノキが生活圏に生育していることはなく、馴染みのない木でした。その

      • クスノキと仏像のはなし その1

        楠、樟、クスノキ……その名前を聞いて樹影を思い浮かべられる人はどれだけいるでしょう。 となりのトトロが住んでいたあの大きな木! と説明した方がイメージしやすいかもしれません。 今回は楠と仏像のつながりについて、ごく簡単に話を進めていきたいと思います。新潟県立万代島美術館で2009年に開催された、男鹿和雄展のチラシ この描かれた巨樹が今回の主役クスノキ! 日本に仏教が公伝されたのは538年あるいは552年とされています。 その公伝されて間もない頃、飛鳥時代に造像された木彫の仏

        • 1985年生まれ

          なんとなく35歳の話35歳になった春、彼は自分が既に人生の折りかえし点を曲ってしまったことを確認した。いや、これは正確な表現ではない。正確に言うなら、35歳の春にして彼は人生の折りかえし点を曲ろうと決心した、ということになるだろう。 村上春樹の短編、「プールサイド」の冒頭である。 中学校から大学卒業までをトップクラスの水泳選手として活躍した男が、35歳の誕生日に突然に涙を流すという物語である。 彼は求め、求めたものの多くを手に入れた。努力もしたが、運もよかった。彼はやりが

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        • 石仏めぐり
          2本

        記事

          わらいぼとけと重源上人の願い

          奈良市のとなり、木津川市加茂町の当尾の里にある石仏の阿弥陀三尊像。その満面の笑顔から「わらいぼとけ」の名で親しまれています。 優しさにあふれるその様から、当尾の里のシンボル的存在! 中尊の阿弥陀様のお顔。豊満な頬と凛々しい眉…見紛うことなく笑っています。 左脇侍の観音菩薩像。中尊より鼻が少し大きめで、より親しみを感じる…やや角張った印象ですが、中尊に近い輪郭か。 右脇侍の勢至菩薩像。こちらは他の二尊よりもやや小ぶりな輪郭に見えます。 石彫でも木彫でも、こうした三尊像

          わらいぼとけと重源上人の願い

          奈良 春日 芳山の二尊石仏

          奈良市内の東側、春日山のさらに奥。芳山の山中には、釈迦如来像と阿弥陀如来像の二尊が表された石仏があります。 像の位置関係から東面を釈迦如来像、西面を阿弥陀如来像とし、現世から来世へ送り出すお釈迦さま、そして来世で迎え入れる阿弥陀さまの二尊を表していると云われています。造像は奈良時代末とも鎌倉時代とも。 山道を歩いていると、急に開けた空間が現れます。その空間に静かに二尊石仏は佇んでいます。お釈迦さまの前方には、人が座れる程度の石がふたつ。私も持ってきたお菓子とお茶を飲み、し

          奈良 春日 芳山の二尊石仏