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クスノキと仏像のはなし その1

楠、樟、クスノキ……その名前を聞いて樹影を思い浮かべられる人はどれだけいるでしょう。
となりのトトロが住んでいたあの大きな木!
と説明した方がイメージしやすいかもしれません。
今回は楠と仏像のつながりについて、ごく簡単に話を進めていきたいと思います。

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新潟県立万代島美術館で2009年に開催された、男鹿和雄展のチラシ
この描かれた巨樹が今回の主役クスノキ!

日本に仏教が公伝されたのは538年あるいは552年とされています。
その公伝されて間もない頃、飛鳥時代に造像された木彫の仏像のほぼ全てがクスノキで造られています。
(京都太秦にある広隆寺・弥勒菩薩半跏思惟像だけは例外でアカマツが主材)

その理由には諸説ありますが…今回は日本書紀との関係性を中心に書いてみます。

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 日本書紀 神代 上・下 酒井宇吉 [編],昭和3年(1928)
国立国会図書館デジタルコレクションより

日本書紀の素盞鳴尊の説話の中には、木材の用途を記した部分があります。
上の写真、向かって右頁の最終行からがその説話の部分。
「素戔鳴尊曰韓郷之島是有金銀若使吾児所御之国不有浮宝者未是佳也乃抜鬚髯散之即成杉又抜散胸毛是成檜尻毛是成柀眉毛是成橡樟已而定其当用乃称之曰杉及橡樟此両樹者可以為浮宝檜可以為瑞宮之材……」
とあり、木材の成り立ちやその用途が詳しく記されています。

博識の人は読めるかもしれませんが……手強いっ!

必要な部分を主観で簡単に意訳すると

素戔鳴尊があご髭とほお髯を抜き散ったら杉となった
胸の毛を抜き散ったら檜に、尻の毛は柀(まき)に、眉の毛は楠となった
そしてそれぞれの用いるべきものを定めた
杉および樟、この両の樹は浮宝(舟)とすべし
檜は瑞宮(宮殿)をつくる材にすべし
槇は棺に使うべし


(まじか…胸毛…尻毛………とつっこみたいところですが……

実際に古墳から出土する木棺の多くがコウヤマキ、発掘される古墳時代の舟のほとんどがクスノキ・スギで造られたと判明しています。世界最古の木造建築群、法隆寺西院伽藍の木材にもヒノキが使用されており、日本書紀の記述の通りに木材が選定されていたことがうかがい知れます。

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奈良国立博物館 所蔵  玉虫厨子 模造(奈良国立博物館データベースより)

その中でも興味深い例が法隆寺所蔵、玉虫厨子の木材の使用例!
厨子とは中に仏像を納める、いわゆる宮殿です。
先ほどの日本書紀の記述によれば宮殿は檜で造られるので、玉虫厨子の用材もすべてヒノキのはず!ですが…

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蓮弁の部分だけはクスノキが使用されています。

この例は玉虫厨子だけではなく、法隆寺金堂の釈迦三尊像や薬師・阿弥陀像の木製台座、伝橘夫人念持仏厨子も同様に使い分けられているようです。

宮殿とされる部分にはヒノキを、仏像の一部である蓮弁にはクスノキを……現代人からすれば「見た目が違わないのだから同じ素材で良いのでは?」と思いますが、仏像(仏身)に関わる部分にはクスノキを使用することが徹底されています。
同様の例として、法隆寺の百済観音像も仏像に関わる部分(仏身、台座、頭光)にはクスノキが用いられ、頭光の支持柱と持物の水瓶は針葉樹材が用いられているとされています。
飛鳥時代においては、仏さまを造る時はクスノキを使うべし!!という明確な意図があるようです。


「蓮も仏さまの一部だからクスノキで造ろう」
そう感じた古代の人たちには世界はどのように映っていたのだろう…
と、遥か遠い人々の眼差しに想いを巡らしてしまいます。

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飛鳥時代の仏像の木材の使用例を知ってからは、盛夏にみる蓮の花を
「仏身だ……」
としみじみ思うようになりました。


それではまた!


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