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カネコアヤノは実在していたらしい。

下北沢のライブハウス「shelter」でカネコアヤノのワンマンライブがあった。ライブハウスに入る前と出た後では世界が変わってしまったみたいだ。

カネコアヤノを聴きはじめたのは高校の友達に紹介してもらってからで、確か最初に聞いたのは『祝日』だった気がする。1回目はそんなに印象に残らなかったのだが、こんなにも聴くようになったのはいつからだっただろうか。そうだ、『わたしは光をにぎっている』(中山龍太郎)を観たときからだ。


わたしは光をにぎっている


あらすじ:
20歳の宮川澪は両親を幼い頃に失い、今では祖母と一緒に長野県の野尻湖の畔にある民宿を切り盛りしている。しかし、祖母が入院したのをきっかけに父親の友人であった三沢京介を頼る形で上京し、京介が経営する銭湯で働くことになる。しかし、ある時、その銭湯が区画整理により閉店する可能性が高くなったことを知った澪は思わぬ行動に打って出る。(Wikipedia参照)

このタイトルは山村暮鳥の詩、『自分は光をにぎつてゐる』(詩集『梢の巣にて』所収、叢文閣、1922年1月1日)から取られている。

自分は光をにぎっている
いまもいまとてにぎっている
しかもおりおりは考える
この掌をあけてみたら
からっぽではあるまいか
からっぽであったらどうしよう
けれど自分はにぎっている
いよいよしっかり握るのだ
あんな烈しい暴風の中で
掴んだひかりだ
はなすものか
どんなことがあっても
おゝ石になれ、拳
この生きのくるしみ
くるしければくるしいほど
自分は光をにぎっている

『自分は光をにぎっている』/山村暮鳥

この詩を読んで何か自分と近しいものを感じた方も多いのではないだろうか、恐らく日本の老年期を生きている私たちの世代に刺さるテーマである。監督もこう語っている。

暮鳥さん自身も、詩を書いた当時は不治の病だった肺結核を患っていて、大正末期という日本がだんだんとキナ臭くなっていった時代を生きていた。その状況の中でも、彼は「自分は光をにぎつてゐる」と信じ、前を向いて生きていこうとしていたのではないでしょうか。

「光」そのものを信じられなくても、「光」をにぎっている自分だけでも信じようとする。その覚悟が込められている詩だからこそ、今の時代を生きる人々と呼応しうると思えたんです。

https://cinemarche.net/interview/nakagawaryutaro/#i-4


この映画がとてつもない良作だったのは間違いないのだが、本筋に戻す。
なにを隠そう、この映画の主題歌がカネコアヤノの『光の方へ』だった。
エンディングで全てを祝福、肯定してくれるような歌詞、声、メロディーに月並みな表現ではあるが、胸がいっぱいになった。

「あぁ世界はこんなにも美しい」のかと気付かせてくれた映画のひとつだ。


高校最後の文化祭で『アーケード』

ライブの話をしにきたというのにまだ本題に入っていない。もうしばしば伏線回収に付き合っていただきたい(笑)。

映画を観てから1年くらいだっただろうか。もうその頃には僕はカネコアヤノにどっぷりハマっていた。コロナ禍のため3年間ではじめて満足する形での開催となった文化祭。ステージパフォーマンスの募集があった。

そのときに決心した「やろう」。それはある種自分を救うための行為だったのかもしれない。同級生や後輩に声をかけバンドを結成した。自分達のLOVE MUSIC を掻き鳴らすために。

そして、、披露したのがカネコアヤノの『アーケード』だった。

誰にもでも刺さるようなフワフワしたような歌詞ではなく、とても個人的な(かつ尖った部分の)等身大の自分を歌った歌詞。そこにまるでNirvanaを彷彿とさせるようなゴリゴリのコード進行。

文化祭

あの曲を演奏していた時間は人生で最良の瞬間の1つだ。


カネコアヤノが1メートル先にいた

さあ本題だ(自分の中ではずっと本題なのだが)。11月14日(月)19時30分、下北沢のライブハウスshelterで目撃した。

整理番号が51番と当たりだったので、前の方に陣取ることができた。ステージから1メートルほどだっただろうか。絶対にこの場所から離れたくなかったのでトイレの心配が頭を巡っていた。見覚えのある楽器たちが目の前に。

目線の先

時間になった。バンドメンバーが出てくる。かっこいい。
そして、赤い服を着た髪の長い女性が出てきた。きた。

カネコアヤノだ。肌が綺麗で、目が大きくて、この世のものとは思えない綺麗さとカッコよさと可愛さが健在していた。もちろんなにも発さずに一曲目がはじまった。

1曲目『明け方』だ。

少しでも瞬きをしてしまったら夢に思えてしまいそうで、固まったままずっと見つめていた。「えっ」、カネコアヤノと目があった。嘘だろ。「あっ」またあった。心臓が締め付けられているのがはっきりと分かる。吸い込まれていく。俺は今日死ぬのかもしれないと。ライブが終わるまで20回くらい目があっただろうか。

2曲目『愛のままを』

人気曲。隣から「2曲目!!」という声が聞こえてくる。すごい気持ちよさそうに歌ってる。なんで歌を歌ってるだけなのにあんなに官能的なんだ。この人は本当に人なのか。「29歳ってのがまた絶妙だな」と思った18歳。

全ての曲の感想を言っていたら終わらない気がするのでいくつかだけ。
新曲もいくつかやっていた。

9曲目『燦々』

大好きな曲だ。なぜか分からないがこの曲は自分の幼少期を思い出し、それと同時に今の自分を肯定してくれる気分になるのだ。

しっかりとした気持ちでいたい
自ら選んだ人と友達になって
穏やかじゃなくていい毎日は
屋根の色は自分で決める
美しいから ぼくらは

燦々 歌詞

全肯定。「あぁ僕は生きていてよくて、楽しく生きていてよくて、自分勝手に生きていてよくて、美しいんだ」。耳鳴りが愛おしくて、泣きそうになる。


12曲目『光の方へ』
13曲目『退屈な日々にさようならを』
14曲目『抱擁』
15曲目『さよーならあなた』

この並び強すぎるだろ。終盤につれて少しずつ演者と観客のボルテージが上がっていく。Gt.林宏敏さん(元:踊ってばかりの国)の顔がどんどん気持ちよさそうになっていって、顔弾き最終形態みたいになってる。かっこいい。アレンジの超長いギターソロもライブに足を運んだからこそ見れる特権。

16曲目『カウボーイ』

ここで完全に扉が開いた感。全員正気を失って音楽に身を任せてた。音源だとアコギだけど、ライブだと歪みまくったエレキの音でパンクバンドのライブみたいになってる(笑)。あんなに自然に笑顔が溢れることは最近あっただろうか。

セットリスト

アンコール『アーケード』

一旦の講演が終わり、バンドメンバーたちが裏に戻ろうとした時にカネコアヤノが言った。「アンコールの曲もそのままやっちゃおう!」笑いながら帰ってくるバンドメンバーたちと笑って迎える観客。

「ありがとうございました!カネコアヤノでした。またっ。(敬礼)」

そして始まる、E  F# A のメロディー。このアーケードは凄かった。どんなライブ映像のときより叫んでて、魂って感じだった。カネコアヤノというキャラを良い意味で自分でぶっ壊していくアンコール。お決まりの「ナナナ」は歌わせてくれた。

多分世界で一番楽しい空間だった。会場も最高だったし、カネコアヤノ自身も楽しかったからアンコールを前倒しにしたんだろう。

公式より

こんなに近くで見れることなんてもうないかもしれない。
世界に傷つきながら、音楽にカネコアヤノに世界に救われている。

家に帰りたくなかった。

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