フランス退屈日記♯3: 元日パリ、晴れのち曇り、のち雨。
今年は日本より遅れること8時間。有名な凱旋門×シャンゼリゼ通りから少し外れたところで高校時代の友人と年明けした。
前々日までオランダへ行っており、島に住んでいたときの知人の家に泊まりながら、現代写真の聖地で写真たくさん見てきた。ー色んな意味で素晴らしい国だった、死にかけたけどー。(含みが気になる人は会ったときに聞いてほしい)。
そしてオランダからホームのルーアンに帰る手前、パリの年明けを体験していこうという魂胆だった。が、結論から言うと、もう一生しない。多分。いや、年明けイベント自体は良かった、凱旋門に映るプロジェクションマッピングを見て、いつまでもあがり続ける花火を見上げた。だが、終わってからが問題だった。問題すぎた。
少し早めに人混みを抜けて、事前に「元日は朝までやっています!」とアナウンスしていたメトロに向かうと、なんと閉まっている。そして20分ぐらい待った時に聞こえてきたのは「2時15分に開くらしい」というもの。僕と友人は早々に諦めて歩き始めた。道は大量の人と車で歩けたものではない。冬のパリは寒いし、おまけにバスもパンパンでいつになっても乗れやしない。みんな辛い思いをしながら帰路についたのだろうと想像できる。一生に一度は体験しておいて良いとは思うが、歩きながら「紅白見終わったあと、コタツでダラダラして、年明けと同時にテレビ中継の除夜の鐘を聴く年明けしてぇー」と思っていた。とは言いながら一昨年もスクランブル交差点で年明けして、山手線を5周くらいして睡眠をとっていたのでさほど変わりもないかもしれないが笑。
結局ホテルに着いたのは朝の4時半。歩き疲れ、遊び疲れた友達はその後、40℃の高熱をだし、僕の三ヶ日はその看病で終わった。スマホを開けば、能登の地震のニュースと日本航空の炎上事故。散々な2024年のスタートだ。今年はどう転ぶか、なんかこう、始まりから何もかもが自分の手の届かない場所にあるような気がしてしまう新年だが、凱旋門から宿まで帰ったときの足取りのように淡々とやっていきたい、と思う。力がないな、、
ちょうど今年が終わる頃にはまた日本に帰っているはずなので、あと一年このフランス生活を楽しもうと思う。今日、友達がイタリアに着いたらしい。夜はカレー食べに行こう(カレーは最高に美味かった)。
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