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「教員になりたい」を応援しているのは教員が楽しかったからかな

みなさんは、なぜだかわからないけれど、涙がツウーッと流れてきた。
という経験がありますか?
私にはたった一度だけその経験があります。
その涙の意味は、いまだにはっきりとわかりません。今回は、そんな話です。


教員を辞めた日のこと

退職願。

人生でこれを書いたことは1度だけ。
規定の書式に沿って書かれた文章の最後に記名。
たったそれだけです。
印鑑を押すでもなく。

教員を辞めるための退職願。
管理職に提出すると、それで私の公立学校教員としての立場は終わりました。
あんなに一生懸命勉強をしてなった公立学校教員。
あっけないものでした。

管理職も、親も、教員仲間も、何度も引き留めてくれました。
辞めなくてもいいのに。
辞めないでほしい。
有り難い言葉もたくさんいただきました。
でも、結局私は退職することを選びました。

教員を辞めてよかった

退職をした理由はたったひとつ。
我が子と過ごす時間が欲しかったからです。

教員として、子どもたちと算数や国語の勉強をしたり、あさがおを育てたり、箱根の山を登ったり、本を読み聞かせたり、たくさんのことをしました。
子どもたちに、あのことを教えたい、一緒にこれをしようと、あれこれと考えるのは楽しく、喜びでもありました。
けれど反面、
(私は自分の子に、何もできていないかも)
そう思い続けて出した結果が、

自分の子どもたちとの時間をたくさん共有しよう

ということでした。

その環境をつくることができたのは、私の周りにいた人たちのおかげです。

辞めた結果として、子どもと過ごす時間は、とてもかけがえのない時間となりました。

そして子どもたちが成人した今もなお、その選択をしてよかったなと心から思っています。
(これは私の想いで、人それぞれですよね)

小学校の先生もすきだった

ですが、小学校教員の仕事も私は大好きでした。

初任者研修が導入され、あたふたし、何もわからず失敗多しの日々が多くいばらの道と感じました。いつまでも後輩は入ってこないで、何年たっても一番若い先生でした。

長時間労働が正義のような社会的背景もあったので、ここまでで終わりにしよう、というタイミングをみつけるのは難しい時代でした。

ですが、保護者も子どもたちも、もしかすると、今よりもおおらかだったかもしれません。
バブル期でもあり、豊かな時代だったので、そう感じたのかもしれませんが。
社会全体に、ゆとりがあったのかなと思います。

先輩先生方には、厳しくも温かいご指導をいただきました。ハラスメントという感覚はなかった時代なので、服装や髪型もチェックが入りました。
寒くないようにたくさん着なさいという、お母さん的な言葉や、
髪の毛は黒ゴムで、必ず結びなさいなど、
大正時代ですか?みたいなご指導もありました。

今思い返すと、どれも想像しただけで笑えて、温かみを感じたりします。

良くも悪くもそのような時代・・ということですね。 

校長室での涙

その後、大学院に通ったり、お声をかけていただき非常勤講師として学校にでたり、教員仲間とボランティア活動をしたり、短大の講師に招かれたり、
教員向けの講師をしたりと、いろいろな機会に恵まれました。

担任の先生の苦労といいますか、そういったものも少しわかるので、できる限り役員も協力しました。
ときには、同期が担任ということもあり、その年は、何かにつけてお手伝い?させられ?しました。

そして今はというと、こうして教員採用試験を受験する方々のサポートをするという立場にいたったというわけです。

今は今で、とても楽しませていただいています。
教員志望の方と接していると、自分のことのように、我が子のことのように重ね合わせて応援してしまう。

喜びを共有できるってうれしいですね。

先生ってそれがとても魅力ではないかなと感じています。


あれ?

なんだか私、振り出しに戻っているかも・・・。

この記事のまとめ

退職届を提出した日。
校門を出た私は、なぜだか涙を流していました。

(こんなに簡単なんだ、辞めるのって。)
そう思ったことだけは、今でもはっきりと覚えています。

正規教員を退職してからも、結局は、なんだかんだとお声をかけていただき、学校に関わってきました。有り難いことです。

今では、管理職になった同期も多く、奮闘している日々を耳にします。

時と共に、社会と共に、教育現場も変わっていくのは当然のことですが、変わりゆくことに、ついていくのは、なかなか力を必要としますね。

私が「すき」だった教員時代のこと。

過去のことは、ノスタルジックな思い出として美化されることもあるかもしれません。

それでも、先生になりたいと想う気持ちを、一度は叶えてほしいなって思うのは、それが、これからの自分の力になると思うから。

正規職員でなくてもよいので、先生になりたいという想いを一度は、叶えられるといいかなって思っています。
そして、少しでも、応援させていただけたら嬉しいです。

ところで、あの涙の意味。
いったい何の涙だったのでしょう。


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