囲碁4回目、自分軸

2021年11月26日。
4回目の囲碁。

前回の記録で、心穏やかに過ごしていると書いて
いたが、4回目の囲碁当日になって、私の心は
荒れていた。

じんさんと話して、はじめに出た言葉は
「1人になりたい」だった。

家事、育児、仕事、子どもの送迎、学び…

仕事を終え、子どもたちを寝かせるまでササっと
計画通りに行けばいいけれど、なかなか毎回そうもいかない。

子どもを寝かしつけてから、自分のやることを
やるようにしていたけれど、また優先順位が
変わってしまい、この日はそれができなかった。

とても穏やかに過ごしていたのに、また前に
戻ってしまったようで、心はなんか落ち着かなくなっていた。

時間に追われる私は、「早く、早く!」
「早くあれして!これして!」って
自分にも子どもにも、夫にもそれを求めてしまっていた。


それが、この日の囲碁に全て現れていた。


私の自分軸には、「スピード」というものが
あるようだ。

仕事でも、家庭でも、子育てでも「スピード」の
軸があって、早くできるかできないか、それで
やるやらないか、決めていたところがあった。

「時間をかけて、積み上げる」とか、
「人生で時間をかけてやればうまくなる」
とか、全く思ったことがなかった。

ずっと昔から、「楽しい、楽、早い」で
選んできていることに気が付いた。

直感を信じてやってきたけれど、言われてみれば
直感の中にも早くできるか否かで決めていた
こともあったと思う。

要領よく、効率的にやるのとは、なんか違う。

頭も良くて、器用で、スポーツでも何でも結果を
残す兄が、昔バレーでアドバイスをくれたことを
思い出す。

「自分が納得するまでやったらいいよ」って。

納得するまでやること。
今までそこまでやったことが全くなかった。
全部が中途半端。

だけど今は、大好きな料理やお菓子作りだけは、
自分が納得するまで習ったり、スイッチが入ると
自分が納得できるまで作らないと、気が済まない
時がある。

時間がなくても、これを作りたい!ってなると
作り上げないと気が済まない、とか。

家族はそれで待たされて、いい迷惑なのかも
しれないけど…

好きなことなら時間がかかってもやろうと
するし、時間をかけてでもさらに良くなるよう
にって、積み上げようとしてるんだって、この時
気が付いた。

こういうところ、母親にそっくりだ。

この日の囲碁で分かったことは、距離的に近く
にはいないけれど、頭の中や心の中に母親の
存在があること。

もしかすると私の「スピード」の軸は、母の影響
が強いかもしれない。

予防医学の先生も、こないだこう言っていた。

病気の根本的原因を探るとき、考え方や精神の
問題に必ずフォーカスする。
うつや、強迫性障害の人たちの根本原因を
探っていくと必ず小さい頃の、親との関係性が
でてくる。
それも、特に一番距離が近い母親と関係性が。
ある日突然病気になるのではない。
時間をかけて積み重なったものが、ある時病気
として現れるんだそう。

母親の存在って本当にすごい。
人ひとり育つのに、目に見えない部分において
とてつもなく重要な役割を担っているんだなって。
母親をしながらそこまで考えたこともなかった
から、凄く驚いた。

自分が「早く、早く」ってしていること。
それは私にとっては「快」であっても、相手に
とっては、もしかすると「不快」かもしれない。
急いでバタバタして、好きなことができて、私は
満足して「快」かもしれないけど、夫や子供は
「不快」だったのかもしれない。

どこまでを自分と思うのか?

「親の幸せは子どもの幸せ」

私もそう思っていたはず。

はず。

この「はず」がでてしまうということは、本来の
目的を忘れている証拠であり、なんか自分でも、
がっくりきた。

自分だけは思い通りにできても、子どもや夫、
相手は思い通りにはできない。

行動や発言など、見えている部分、聞こえている
部分はあくまで部分情報なんだとか。
見えるところだけ変えようとしても変わらない。
言葉になっていないところを満たすことで、何かが変わるんだって。

「正」も「反」も両方大事にすること。
それによって生まれる「合」。
ここで初めて、ものの見かたが変わるんだとか。

自分軸から自由にならないと、いつまでたっても同じことの繰り返し。

私は「合」を生み出せる自分になって
新しい自分になりたい。







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