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ムカつく奴にも存在価値はある

 先日、とある先輩の現在の姿を見た。その人には学生時代にお世話になったが、ある時、すんごい嫌味を言われてから嫌いとまではいかないが、尊敬の念はなくなりどうでもいい存在になった。もう会いたくないし、興味も何もない。

 現在のお姿は、まるでおむすびのようだった。元から容姿が良いわけではないがふっくらされてすっかりおばちゃんになっていた。お世話になっていたあの頃はどこか威圧感があって、なんとなく偉そうで、先輩風を吹かせていたのに。思わず心の中でうすら笑いしながら「あら、残念」と思ったが、仕事の実績は大変立派で、今日に至るまで相当な努力をしてきたんだなと思った。すっかりババくさくなったけど良い笑顔をしている。いくら好かんとはいえ、なんとなく讃えたくなった。とはいえ、やっぱり好きではないけど。

 これまでむかついた奴はいっぱいいる。なぜかいつも上から目線な物言いの人、周りの空気を読めない人、人の心をズタズタに踏み潰す人、自己保身な人。こういう人を見ると虫酸が走る。私は場の空気を和ませるために道化になることが多かったので、よく下に見られていじられた。私だから良いという甘い考えから失礼なことを言う輩もいて、あまりに理不尽なことを言われた時はさすがに激ギレした。他にも、なぜか目をつけられたり、嫌味を言われることもあったなぁ。

 こういうふうに、誰にでもムカつく人はいるだろう。私は好き嫌いがはっきりしているから、嫌いになったりどうでも良くなったらサッと距離をとる。幸いにも、そういう人たちとは今日に至るまで会ってはいない。

 もう二度と会うことはないだろうが、ムカつく人にも感謝することがある。それは、そいつらから離れたことで人生がより良くなったからだ。

 多分、あのまま惰性で付き合っていたらいつも嫌な思いをして、ストレスを抱えて発狂していたと思う。そいつらといる環境、状況に蝕まれていただろう。

 しかし、離れたことで全てから解放され、心身ともに晴れやかになった。「もうあんなストレスを抱えなくていいんだ、はぁ〜幸せ」としみじみ思ったものだ。

 つまり、ムカつく奴の出現とは、そいつらから脱することで今以上に良い毎日が待っていることのお知らせなのかもしれない。

 また、ムカつく奴からはいろんなことを学べる。こんな人にはなりたくないと思ったり、こう言われたらどうスルーすれば良いのかを考える良い機会になる。傷つけられることもあるけど、傷つけられたからこそ、相手に伝える言葉のチョイスに優しさや思いやりがこもったり、「寄り添う姿勢」というものがわかって人間としての幅や味が広がるのだと思う。

 だから、ムカつく奴との出会いは、人間として大きくなるには必要なのだ。そう考えたら、ムカつく奴との出会いにも、そいつらの存在価値もあるってもの。

 ババくさくなった先輩とはもう一生会いたくないし、会う機会があってもテキトーに話すだろうけど、改めてムカつく人から学び得ることを思い出させてくれた点では感謝する。でも、やっぱり好きじゃないけどね。

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