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ありのままでいいんだよ!

私には、もうすぐ9歳になる長女がいます。小さい子が好きで、図書館で小さな女の子を見つけては一緒に遊んだりしています。言葉や社会性の遅れがあり、同じ歳の子たち(特に女の子)の輪に入ることができずにいるので、娘が小さい子が好きというのには、「きっとまだおしゃべりできないような小さな子の方が接しやすいからではないか」と思っています。

先日地元の図書館に行ったときのこと。私が娘たちの本を選んでいたら、長女は1歳半の女の子に話しかけて遊んでいました。小さな女の子のお母さんもそばにいて、時々娘に話しかけているようでした。

このような状況のとき、いつも私は内心ハラハラしながら、でもなるべく娘に干渉しないようにと遠くから見守っています。どういうことかというと、娘の会話の仕方が一方的であったり、突然なんの脈絡もないことを言い出したりするので、娘が突拍子もないことを言ったり、場違いなことを言ったりしてはいないだろうか、と私自身が不安になってしまいます。ただあまり親がしゃしゃり出て、口出しするのも良くないだろうとと思って、遠すぎず、近すぎずの距離で見守るというようにしています。

こんなふうにして文章にすると、私の心配や不安はなんだか馬鹿らしく思えてくるので不思議ですね。子供だから、誰だって、突拍子もないことを言ったり、なんの脈絡もないことを言い出したりしますよね。他の子がそうであっても、きっと「子供だから・・・」と思うだけのはずなのに、いざ自分の子が、しかも「言葉や社会性に遅れがあるから年齢に相応しい会話ができないんじゃないか、おかしなことを言い出すんじゃないか」と決めつけている自分に気づきました。そんなふうに娘を見ていた自分に大反省です。

私自身、自分に対して、「他者の前ではいつもきちんとしていなくてはいけない」、「きちんと受け応えしなくてはいけない」という思い込みが今でもあります。それを娘に反映させていたんですね。

ちなみに、先日の話に戻ると、小さな女の子のお母さんが帰り際、私に「You should be proud of your daughter.(あなたのお嬢さんを誇りに思ってくださいね)」と声をかけてくれました。アメリカではよく聞くセリフで、「いい子ですね」という感覚くらいで使っていると思いますが、日本ではあまりそのような表現はしませんね。とても良い褒め方だなといつも感じます。

実は私はそのように声をかけられて、思わず泣き出しそうになってしまいました。そう、娘に発達の遅れがあろうが、なかろうが、どんな子であっても親はその子どもを誇りに思っていいんですよね。

私は娘を誇りに思っていなかったわけではないけど、いつもどこかで「普通の子のように振る舞えない」という目線で見ていました。(大変恥ずかしいです。。。)そしてそれは、私が自分自身に対して「自分は十分な価値がないんじゃないか」という思い込みに由来しているということに気づきました。

すべての人はありのままで尊い。

そうはわかっていても、正直自分自身に対してそうは思えていない私がいます。それが、娘を見る眼差しにも表れていたんですね。




頭では、「ありのままでいい。私らしいのが一番」とは十分わかっているつもりになっていても、そうは思っていない私がいます。どうして「私らしくあることをよしとしない自分がいるのでしょう?」

きっと子供のころから、「自分は十分ではないんじゃないか」「もっと頑張らないと認めてもらえないんじゃないか」という思いがあったからだと思います。私はとても頑張り屋さんな子でした。いつも親の期待に応えようといつもがんばっていましたし、また親の期待に沿える子でした。

でももう大人になった私は、親の期待に応えるために自分をがんばらせる必要はないことを知っています。自分で自分を「大丈夫だよ」と認めてあげることができます。そして、まだ「十分ではない」と思っている私がいても大丈夫!それは真実ではないのだから。「ありのままではダメ」と言ってくる私は、親から、他人から愛されるようにと私を守るためにそのように囁いて叱咤激励してくれただけだから。

私は長女のことを通じて、いろいろな意味で既成概念や枠組みを手放すことを学んでいます。

どんな自分でもOK!


自分の中にまだまだ自分を批判したり、ダメ出しする自分がいます。それでもOK。これが「ありのままの自分を丸ごと受け入れる」ということなんでしょう。

3月からマインドフル・セルフコンパッションを学んでいます。
「ありのままの自分を丸ごと受け入れる」これを真の受容と呼んでいます。

自分を批判している自分を見つけては、「ダメだな。。。」と思い落胆する自分もいますが、そんな自分も含めて優しく思いやりを持って受容していけたらいいなと思っています。

当初は「図書館で他のお母さんから”You should be proud of your daughter.”と言われて、涙が出そうになったこと」をメインに書こうと思っていましたが、書いているうちに様々な気づきがあり、「自分を愛する」というセルフコンパッションに行きつきました。

私の中で、「自分は十分でない」とか「ありのままの自分では愛されないかもしれない」といった思い込みがまだまだ根深くあります。そして、その背後には「愛されたい」という人間として誰もが持っている純粋な想いがあります。

純粋な想いも、いろいろな装飾が加わって、複雑になり、形を変えて表にでてくるんですね。一見娘を心配していることのように装っていたことも、実は私自身の問題の表れでした。そして間違った思い込みを持っていたのも、愛されたいという純粋な想いからで、それ自体はいけないことではないですね。

やっぱり行き着くところは自分
自分を大切にすること。自分を労ること。自分を愛すること以上に大切なことはないのかもしれないと思います。


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