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京子先生の教室9「帯状疱疹ができる」

 「4月から5年生の担任をお願いします。この学年は去年いろいろと問題があって、苦労をかけるかもしれませんが・・・。」転勤早々、先生は校長から言われました。「一人、元気な子がいます。根はいい子です。しっかりめんどうを見てやってください。」これが隼人との出会いの予告でした。

 始業式の朝、先生は隼人と衝撃的な出会いをします。

 先生が教室で子ども達が来るのを持っていると、数人の男の子を引き連れて一人の少年が後ろの出入り口から入ってきました。ランドセルを右手に持って、床の上をズルズル引きずっています。教室の真ん中辺りまで来ると、ランドセルをドンと机の上にたたきつけるように置き、自分も机に座りました。そして、先生をジロっと見たのです。周りの子ども達も彼を取りまくように立っています。

「この子が隼人か・・・」

 今まで見たこともないような子どもの態度に、一瞬先生もビックリして、一歩下がりそうになりましたが、そこはこらえて、
「おはよう」
と声をかけました。彼は黙って目線を外しました。
『そう来たか』

2人の戦いのゴングがなった瞬間・・・でした。

 隼人は小学5年生。
いくら反抗していると言ってもまだまだ子どもだ、先生はそう思っていました。でも一方で、「教師」という大人を全く信じられない気持ちになっていて、仲間を引きつれ何をしでかすかわからない、不気味な存在でもありました。

「さて、これからどう付き合っていこう・・・」

 先生はいろいろと考えました。
『彼の胸の中に飛び込んでいくしかないか。』
真正面から正直に向き合う・・・この気持ちを貫こうと思いました。

 隼人は空手を習っていました。
「空手をやっている子だから・・・。精神は鍛えられているはず。」

 先生は、新学期すぐの日曜日に開かれた、空手の大会を見に行きました。
武道館の中は胴着を着た子でごったがいしていました。先生はキョロキョロと隼人を探しました。

「いた。」

2階のギャラリーにいた先生は、1階のフロアーで真剣な顔で型を構えている隼人を見つけました。きりっと正面を見つめる目、キビキビした動き。

『あれなら大丈夫、うん、大丈夫。』

はっきりした根拠はなにもなかったのですが、ただそう感じた先生でした。

 1階に下りて、隼人のところへ会いに行きました。
「えっ、先生。・・・何しに来たと」
「君の応援。」
「・・・ふうん。」

 隼人は「ありがとう」と言うわけでもなく、表情を変えることなくすぐにいなくなりました。『話はできなかったけど、あの姿が見れてよかった。』と先生は思いました。

 さあ、学校生活が始まりました。クラスにも何だかだらだらとした雰囲気があり、落ち着きません。ダメなことはダメ。守ることは守ること。まずは、学校生活のルールがクラスの中にきちんと流れることが目標でした。

「くっそー、はなせ、はなせ。くっそーっ。」
「どれだけ言ってもわからない人は、一度外へ出ます。みんなはプリントを進めてて!」

 先生と隼人のバトルです。クラスの子ども達はこんなやり取りを何度となく見ることになります。隼人は少し細身で、先生よりはまだ小さい子でした。だから、先生も太刀打ちできました。最後は、力づくで教室から出し、教室の外で真剣勝負です。互いの思いをぶつけ合いました。これを許したらダメだと思うことがあると注意しますが、何度言ってもきかない時は、こうして彼を教室の外へ引きずり出し、とことん話すのでした。

 時間が流れ、日々彼の様子を見ていると、だんだんわかってきたことがありりました。彼は実は友だち思いでとても優しいこと。理不尽なことに対して異常に反発すること。これまでの反抗も、いろんな原因が重なった結果だったということ。そうです。まだ小学5年生の子が理由もなしにこんな状態になるはずはありません。・・・ただ、彼だけでなく、クラスの他の子たちも不安定で、学級として、なかなかうまく動きませんでした。子ども達にとっても、先生にとっても、ストレス状態が続きました。

 一列にまっすぐ並ぶこと、時間を守ること、黙って授業を受ける事等、当たり前のことが当たり前でないので、こんなことが当面の具体的な目標でした。

ある日、先生はおなかのあたりにズキッと痛みを感じました。
「えっ、何?」

 見てみると、おなかの右側から背中にかけて、赤い斑点と小さな水ぶくれが転々と帯状にあらわれたのです。チクチクと痛みます。
「何、これ〜?」
 今まで見たことがないものができていました。何と、生まれて初めての帯状疱疹を発症したのでした。熱も出たので病院へいくと、ストレスが原因ではないかと言われました。確かに心身ともに弱っている自分を感じました。

 補欠に入ってくれた先生が
「『先生が病気になったのは俺たちのせいですか。』ってこどもたちが言ったから『先生をあまり困らせるんじゃない。」と言っておきました。」
と言われました。
『ちょっとはそんな気持ちも持ってるんだ。』
先生は思いました。

 そんなこともありながら、時間が経ち、徐々にではありますが、先生は隼人とも、クラスの子ども達とも、つながりを感じられるようになりました。

 ある時、隼人が、
「先生、理科の授業を一時間だけぼくたちにくれんね。」
と言ってきました。
「授業を?どうした。」
聞くと、隣のクラスの男子とうちのクラスの男子がもめているとのことでしした。全員そろってゆっくり話がしたいとのことで時間がほしいとのことでした。先生はしばらく考えました。そして、
「わかった、いいよ。でも、先生は横にいるよ、いいね。」
「わかった。」

 先生は、床に車座になった男子の話し合いをちょっと離れたところから黙って聞きました。(女子には事情を言って、自習をしてもらいました。)

「今までどんなことされたかみんなに話せ。たかしは。」
「呼び出されて、何人かに悪口言われた。」
「おれは、にらまれて怖かった。」
「俺も悪口言われた。」
「いいか、何かあったら、必ず俺に言え。みんなで力を合わせるぞ。たかし、心配するな。みんなついとるけん。」
「うん。」

 こんなやりとりをしながら、互いの身の上に起こったこと、困った時は助け合うことを確かめあっていました。こんなに喧嘩の多い子ども達は初めてでした。
『さて、これはどうしたものだろう。』
先生もいろいろ考えました。

「先生、時間くれてありがとう。」

 話し合いを終えあった時、隼人は一言、先生に言いました。
その後先生は心配で、隣のクラスの先生と子ども達の様子に気を配っていましたが、大きなトラブルもなく先生もホッと胸をなでおろしたところでした。


本当に、いろんなことがありました。


 出会いから、4年半。隼人たちは、卒業して中学2年生になっていました。秋も深まったある日の放課後のことでした。めずらしく、隼人が学校に遊びにきました。職員室の先生たちも元気者の隼人のことは忘れていません。

「おっ、隼人じゃないか、元気か。」
「チッワッス。」

「先生。」
「あら、隼人。久しぶり。元気だった。」
「うん。・・・先生、これ。」
「なに?」
「この前、修学旅行に行ったけん、その時のみやげ。」
「えーっ?・・・何?・・・先生に?」
「うん。」
「えっ、ほんと?開けていいの?」
「うん。」

 隼人はにやにやしながら、驚く先生を見ていました。先生は、思わぬ事態にまだちょっと動揺しながら包装紙をはずし、箱を開けました。

「わあ~、かわいい!」

 シーサーの貯金箱でした。全体がまん丸い、身体はうすベージュの、角や首輪やまゆは濃淡のある3種のピンクで塗られたマスコット風のものでした。おなかには大きな赤いハートも抱えていました。

「えーっ、これ、沖縄から先生に買ってきてくれたの。」
「うん。気に入った?」
「もちろん。先生、ピンクが大好きよ。」

 先生は、思ってもみなかった隼人の訪問とお土産に、何しろびっくりしたのが一番でした。その後、職員室は昔話でぎわいました。

 放課後、先生は一人、静まりかえった教室であらためてシーサーの箱を開きました。卒業して1年半。中学校の修学旅行で自分のことを思い出し、お土産を買っていこうと思ってくれたんだと思いました。そして、こんなかわいい貯金箱をあの子がどんな顔をして買ったのだろうと、それを想像するだけで、ありがたくて、ありがたくて、その気持ちが痛いほど心にしみてきました。


 今も先生は、人生で初めて経験したあの帯状疱疹のチクチクする痛みと、このかわいいシーサーをもらった時の何にもかえられない気持ちを、一緒にして箱の中におさめています。そしてその箱は、先生の大切な引き出しにたくさんの箱と一緒に入れています。

                         おしまい


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