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思いついたことを、そこはかとなく書きつけます。 専門外の、趣味の文章が中心です。よろし…

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思いついたことを、そこはかとなく書きつけます。 専門外の、趣味の文章が中心です。よろしくお願いします。

最近の記事

「当面の間」

 こちらはそろそろ騒がれ始めているが、だいぶよく聞くようになった表現。この表現が「間違い」かどうかに関しては議論があるようだが、数年前まではほとんどの人が「当分の間」か「当面」のどちらかの表現を用いていた。  「当面の間」が流行り出したのは東日本大震災の後で、さまざまなことが数ヶ月程度中止されたり、臨時の措置が取られたりする中で、「当分の間」は少し(長くなりそうで)やる気がない印象を与え、「当面」ではすぐに再開されそうで「じゃあ、いつなんですか?」と聞かれてしまうので、

    • 「~せずに」と「~しないで」

       私は日本語学が専門でもないし、別に、「ら抜き言葉」をはじめとする「正しくない日本語」が大嫌いな訳でも、「言葉狩り」支持者でもない。ただ、これまで使ってきた言葉や表現が急に変化し、みんなが新しい用法を「当然」という顔をして使っていると、何だかすごく気になる人間ではある。 ※その変化自体がよいか悪いかというよりも、「その変化が気にならない人々」がなぜそうなのか、ということが非常に気になる(笑)  第一弾は、「~せずに」。  統計をとった訳ではないが、「~せずに」という

      • オンライン化と私達の「存在」について(3)

        不安を生かす方法 本稿では、コロナ禍・オンライン化の中で自分の存在が消えてしまうように感じる、不安だ、ということを書きたかった訳だが、そこに一縷の希望があるとすれば、どんなものかを考えてみたい。  存在に関する不安をポジティブに捉えてみると、以下のような視点も出てくると思う: ・生き方を見直すきっかけになる  オンライン化であっさりと消えてしまったように感じたものは、元々大したことではなかったり、自分が何かに幻惑されてやっていたものであったりすることが多い。  例

        • オンライン化と私達の「存在」について(2)

          存在しているかどうかは重要なのか 私は今回、存在についてあれこれ語っているが、存在(や実存)というものは哲学の最も重要なテーマの一つなので、専門外の私はなるべくその正式な定義などには触れないようにしたいと思う。ともかく、「存在感」などと言う場合の、一般的な意味における「存在」のことだとして、話をしていきたい。  ただ、哲学やそれに関連した分野を少しでも勉強したことがある人なら、私達があるモノや人が「存在」していることを絶対的に証明することは難しい、ということは知っていると思

        「当面の間」

          オンライン化と私達の「存在」について(1)

          自分は本当に存在しているのだろうか?  新型コロナウイルスの蔓延により、会議や授業、飲み会さえもオンライン化が進んでいる。当初は「新しい世界」が始まったかのように感じて歓迎していた人も多かったが、だんだんと疲れを感じる人も増えている。その疲れというのも、単に画面やヘッドフォンを通したやり取りが辛い、というだけではなく、何だか心の中にモヤモヤしたものがたまり、ずっと晴れない、といった類のものだったりする。  もちろん、不慣れなツールを使ってコミュニケーションをとることによ

          オンライン化と私達の「存在」について(1)