オンライン化と私達の「存在」について(3)

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不安を生かす方法

 本稿では、コロナ禍・オンライン化の中で自分の存在が消えてしまうように感じる、不安だ、ということを書きたかった訳だが、そこに一縷の希望があるとすれば、どんなものかを考えてみたい。

 存在に関する不安をポジティブに捉えてみると、以下のような視点も出てくると思う:

・生き方を見直すきっかけになる

 オンライン化であっさりと消えてしまったように感じたものは、元々大したことではなかったり、自分が何かに幻惑されてやっていたものであったりすることが多い。

 例えば、何となくワイワイ大騒ぎしていたので楽しんだ気分になっていたが、自分自身は数合わせで呼ばれていた飲み会とか、元々ただ末席に座っていただけの会議とか、作業の内容よりも実はただ毎日顔を見せることが重要だった仕事とか、気晴らしの雑談が中心となってしまっていたミーティングとか、そういうものほど、オンライン化すると無意味に感じられるはずであって、現在は自分が何をなすべきか、何をやめるべきかを考えるのにちょうどよい機会かもしれない。

・方向を見定める

 さらに、今回の機会は細かい活動の整理だけでなく、自分は本当は何がしたかったのか、人生の目標は何か、などといったことを考え直すきっかけにもなる可能性がある。オンライン化して、PCの画面越しでもよいから、どうしてもやりたいこと、伝えたいことを見極めることで、自分や相手にとって本当に大事なことを抽出することもできる。

 同時に、どうしてもリアルでやらなければならないこともはっきりしてくるだろう。コロナ禍の中で、「まあいいや」と思うようになってしまったことは、あまり価値のないことかもしれないが、コロナが終息するまで待ってでもリアルでやりたい、ということが残れば、それは自分にとって本当に重要なことだろう。例えばある場所に旅行したいとか、誰には絶対会いたいとか、ある料理は絶対食べたいとか、これだけは実現したいとか、自分の心の中で強い希望であり続けることは、きっと自分が本当にやりたいことなのである。

その他

 なお、オンライン化に伴って対応すべきことは、その他にも沢山あるだろう。例えばちょっと考えただけでも、ペーパーレス化とか、脱ハンコ社会とか、在宅勤務の増加とか、ネット上での新しいマーケティングとか、色々ある。ただし、それらは今回のテーマである自分自身の「存在」とは少し離れた話なので、私のページではまた機会があれば触れてみたいと思う。

※今回の3つの投稿が、私の note での初投稿になりました。お読みいただいた方々、ありがとうございました。今後は幅広いトピックを取り扱いたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

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