スラヴ諸語におけるHAVEとBE

 日常生活において、「私にはお金がある」や「彼はお金を持っているから…」など、所有を表すのは当然と言える。英語であれば「I have money.」なり「He has money…」などと表現される。

 そんな、ごくごく日常的に見られる表現だが、当然のごとく言語ごとに表現が異なっている。英語やドイツ語、フランス語などのいわゆる「西欧語」では所有にはhaveを使っている。一方日本語や朝鮮語やフィンランド語などはbe動詞、すなわち「いる」や「ある」といった動詞で所有を表すのだ。では肝心のスラヴ諸語というと、be動詞を用いる言語とhave動詞を用いる言語の両方が存在している。

 ここで、簡単にbe動詞とhave動詞を所有という観点から解説していこうと思う。まずはbe動詞から。中学・高校の英語の授業でも習った(大半の方は忘れていると思うが)通り、be動詞は存在を示す際に用いられる(もちろんそれ以外の用法もあるが、ここでは立ち入らない)。英語で例を見てみよう。例えば「There are many books on the table.」などの、there is/are構文のbe動詞は、典型的に所有を表している。日本語でも、それは同様である。be動詞で所有を表している言語は、存在から所有という意味の拡張を経ている。一方でhave動詞は、純粋な意味で、所有を表している[1]。日本語でも、存在を表すのに「持っている」というhave動詞は用いないことからもそれがわかる。ただ、注意しなければならないのは、言語によってはhave動詞を存在の意味合いとしている言語もある。しかし、それは二次的に生じたのである。

 ここからはスラヴ諸語にフォーカスを当ててみることにしよう。まずはロシア語。以下の例文を見ていただきたい(キリル文字はラテン文字に転写している)。


(1) ロシア語:U      menja est’  kniga.
                      〜ところに  私の ある 本が
                    「私には本がある」


上記の文章のうち、est’はロシア語のbe動詞である。これをそのまま英語に逐語訳すると、「At me is book.」という風になる。このようにロシア語の所有ではbe動詞が使われている。では、ロシア語から距離が離れているチェコ語はどうだろうか。


(2) チェコ語:Ja  mám knihu
                         私は 持つ 本を
                      「私は本を持っている」

ご覧の通り、「持つ」の意味合いのあるmámが使われている。このmámは、チェコ語のhave動詞であり、付け加えるならば、1人称・単数・現在の形だ(原型はmít)。

 チェコ語やスロバキア語、ポーランド語などといった、ドイツ語やフランス語に近い言語ほどhave動詞となる傾向が高い、と説明したいところだが、この説は本当であると言えるかは疑問であると筆者は考えている。なぜならば、南スラヴ語(スロベニア語やセルビア語、ブルガリア語)も、have動詞を用いて所有を表しているからだ。

 この話は一旦保留にして、ロシア語を含む東スラヴ語を見ていきたい。先に筆者は、ロシア語がbe動詞を使って所有を表すと言った。しかし実際はもう少し複雑。東スラヴ語の中でも、ウクライナ語とベラルーシ語は、所有を表す際にbe動詞を使っても良いし、have動詞を使っても良いとされている。実際ウクライナ語の例文を示してみよう。

(3)ウクライナ語:U       mene   je    kniha. /   Ja  meju         knihu.
                             〜のところに 私の ある 本が  私は 持っている 本を
                          「私には本がある」/「私は本を持っている」

面白いことに、標準的な文法書には、be動詞とhave動詞、どちらの表現を使っても良いし、意味も変わらない、という説明なのだ。言語学をやっている人間からしてみると、どうもこの説明は腑に落ちない。言語学には「言語の経済性」という概念がある。これは、同じ意味を表す表現なり構文なりが、複数存在していることは、効率の面に反するということを意味している。ウクライナ語やベラルーシ語の所有は、明らかに言語の経済性に反している。

 ロシア語にもhave動詞がないわけではない。実際にimet’というhave動詞が存在している。しかし、使用される頻度はかなり低く、慣用的な表現にしか使用はされていないのが現状だ。

 話を元に戻そう。先ほど、ドイツ語やフランス語と近い言語ほどhave動詞を用いる傾向が高い、と言った。これを言語接触という―2つ以上の言語が接触し合うことで、一方または双方の言語に何らかの変容が起こるという現象のこと―概念で説明しようとする者もいる。ドイツ語との接触の結果、have動詞の使用がチェコ語やポーランド語に広まった、ということを説明すると、ドイツ語と地理的に隔たりがあるセルビア語やブルガリア語といった言語がどうしてhave動詞を使うのか、ということの説明がつかない。スラヴ最古の文章語と言われる、古代教会スラヴ語の文献でも、have動詞が多用されているのが現実なのだ。

 とあるウクライナの学者がいっていたことによると、スラヴ語のhave動詞が使用され始めたのは、何らかの言語の影響によるものではなく、スラヴ語の内的発達によるものであると説明している。スラヴ語のhave動詞が内的な発達を遂げた後、チェコ語やスロバキア語など、比較的「西」に位置している言語がドイツ語との接触の結果、have動詞の用法が拡大したという説明を受ける方が遥かに納得がいくだろう。

 かつてのロシア語も、have動詞の使用が盛んであった。しかしある時期を境に、be所有にシフトしてしまった。これは、北方のロシア語方言がフィンランド語との接触により、have動詞の発達が阻害され、be動詞を用いた所有が「復活」していったと、多くの研究は示している。そしてその用法が時代をくだり、ロシア語やウクライナ語など、南へどんどん拡大されていったのだ。そしてウクライナ語やベラルーシ語は、当時のポーランド語の影響を受け、同時にhave動詞の使用も始まったと説明されることが多い。一般にウクライナの東部ではbe所有が、西部ではhave所有の傾向がそれぞれ高いとされる。

 言語の世界は大変に複雑なものだ。所有の表現を一つとってみたとしても、説明するのに大変な時間と労力がかかる。しかし、その理由や原因がわかった時には大変な喜びが待っている。スラヴ諸語の所有構文の研究は多くあるが、未だわかっていないことがたくさんある。このエッセイを読んだ方が、この分野に興味を持ってくれることを願ってやまない。



[1] 存在を表す場合もある。ここではこの用法には立ち入らない。

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