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人間の本性 #70

敵はいつも自分の内面にいることを知っているだろうか?
新型コロナウイルスの影響で環境が大きく変わって早3年近くになるが、どう感じているか?
人生がめちゃくちゃになった人もいるだろうし大変革になった人もいると思う。細かくは割愛するが、人間はやりたいことがあっても実はやれていない(正確に言うとやらない)ことが山ほどある。そして嫌なことがあると現実から目をそらしてしまう習性も持ち合わせている。今回は、そのような部分を紐解いていければと思う。

やりたいことをなぜやりたくないのか

人はとにかくいろんなことに注意力を向けている。これは狩猟時代に生存するために必要な機能であって変わらず今日まで続いていると言われている。例えば、今日中にやらなくてはいけないことや今日しかできないことがあるときなどにサッと手が付けられるだろうか?
実際にはやりたいと思っていることになかなか集中できず、むしろ他のことに手をつけてしまう始末だ。ものすごく重要でやりたかったことが退屈に感じられ集中できなくなる。
では原因はなんだろうか?
その原因は「有限性」にあると言われている。
「僕たちが気晴らしに屈するのは、自分の有限性に直面するのを避けるためだ。時間が限られているという現実や限られた時間をコントロールできないという不安を、できるだけ見ないようにしているのだ。」(書籍:限りある時間の使い方より)
つまり、自分の時間に限りがあることを認められていないという証拠である。明日までにやればいいかといった先送りをしてしまうのは、明日という未来が必ず来ると思っているからの行動になる。未来はわからないからこそ有限性を受け入れ前に進もう。

人はなぜ嫌なことから目をそらしてしまうのか

どうしても嫌なことが目の前に現れると目をそらしたくなってしまう。向き合わなければいけないことはわかっていてもつい他のことを始めてしまう。気が重たくなり、ふと開いたSNSに夢中になりあっという間に30分が経過していたなんてことはよくある話だ。スマホを手放したらすぐに着手できるかというとそうでもないようだ。何らかの形で別の気晴らしの誘惑はやってくるとのこと。考え事を始めたり、片付けを始めてみたり、眠くもないのに昼寝をしてみたり・・・とにかく何でもいいから大事なことに集中しないためのことを探し始めるようだ。
要するに、邪魔をするのは気晴らしの対象ではなく、嫌な現実から逃れたいという自分自身の欲求であるのだ。

重要なことをやり遂げるには、思い通りにならない現実に向き合うしかない。その事実を受け入れ覚悟を決めるのだ。解決策がないという事実こそが、ある意味で解決策だといえるかもしれない。難しいタスクを落ち着いてやり遂げるには、完璧に没頭できる状態を夢見るよりも、嫌な気持ちをそのまま認めた方がいい。苦痛や退屈を否定せず、今起こっていることをそのまま見つめたほうがいい。禅の教えによると、人の苦しみはすべて、現実を認めたくないという気持ちから生じるのだという。「こんなはずじゃなかった」「どうして思い通りにいかないんだ」という気持ちこそが、苦しみの根源なのだ。
自分は万能ではない。ただの無力な人間で、それはどうしようもない。ことを受け入れたとき、苦しみはふいに軽くなり、地に足のついた解放感が得られるだろう。(書籍:限りある時間の使い方より)

処方箋

実は、自分は集中力がないと悩んでいたひとにとっては驚きだろう。自分自身も集中力がなく、いつもやらなければいけないのに他のことを始めてギリギリまで追い込まれる経験をしている。しかしながら、本能的な部分が強くそのような習性があることを理解できれば、自ずと受け入れられると思う。

自分の人生は有限であり無限ではない。自分で認めたくない現実こそ、受け入れることができたときには、いつの間にか苦にならなくなる。


さいごまでご覧くださりありがとうございます。私は5児の父親で父親歴10年を超えた35歳です。自分の父親と祖父が早くに亡くなった経験から子どもたちに自分の経験や人生論、学んだことのすべてを書き記す、遺言ブログになります。本気で書いています。ぜひフォローいただき今後もお付き合いくださいませ。

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